朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

散歩

散歩が好きだ。


どの季節も道端に咲く四季折々の花を見かけては、写真を撮ったり、撮らなかったりしながら歩く。


今日は夕方歩いたので、空には半月と右下に明るく輝く木星が見えた。日がすこしずつ短くなってきている。


歩きながらゴミを拾う。

今日はビニール袋とビニール手袋持参で外に出た。


よく落ちてるのが、煙草の吸殻、ペットボトル、煙草の空き箱、ビニールの包装の一部、ガムの包み紙、などなど。

昔のように道がゴミだらけではない分、落ちていると目立つ。なので、ちょっと拾っただけで道が綺麗になる。気分がいい。

ただ、煙草の吸殻だけは結構落ちているので、全部拾うかを、すこしだけ躊躇った。全部拾うか、煙草の吸殻は無視を決め込むか…。結局、その時の気分で決めることにした。


犬の散歩をしている人たちとすれ違う。

トイプードルや、雑種、ダルメシアンや、海外種の知らない犬がいた。それぞれに可愛らしさがあって、犬を見かけるのは嬉しかった。

わたし自身は犬とも猫ともあまり縁がない。犬好きと猫好きって、はっきり性格が分かれる気がする。なんとなくだけど、猫好きな人ってひとりが好きで無口な気がする。


こどもの頃、家で飼ったのは、メダカと金魚とセキセイインコだった。いちばん好きだったのは、メダカだった。百草に隠れてるメダカを探すのが楽しかったような、、。

母親が道端で''はこべ''という七草の一種である雑草を詰んできては、セキセイインコにあげていた。セキセイインコは''はこべ''が大好物だった。わたしは、はこべを食べるインコを見るのが好きだったが、インコを好きだったか?と問われたら、答えられない。

恐らく、生き物との相性はそんなによくないのだ。


そんなことを考えながら、散歩は続く。


貨物列車の線路を横切る。

貨物列車の線路のわきには…から始まる大好きな詩がある。自分の詩だ。


昨日の心許なさは、やはりあらかた消えていたが、どこかに微かな名残を感じる。それを感じながら、月を見上げた。


歩きながら、徐ろにスズコウナイトという番組をYouTubeで聞く。向井秀徳マエケン・総ちゃん(フジファブリック)・吉澤嘉代子の回だ。司会は又吉。

みんなカッコいいアーティストだ。歌もカッコいい。

総ちゃんが志村(フジファブリックのボーカル)が死んでしまい、その後にはじめて作ったECOHという曲を歌ったあとに、『しんみりしちゃいましたね。すみません。』と言ったら、向井秀徳が『しんみりするよ。……よかったですよ。』と言ったところが、好きだった。


又吉って、不思議な人だなぁーと思う。うまく表現できないけど、神様に好かれるタイプの人なんじゃないかな?他人をリスペクトするのと同じく、自分に対しても俯瞰的にリスペクトしているのを感じる。発言の中に、他者への真っ直ぐな好奇心があるように思う。色んな人や出来事にインスパイアされがちな感じ。

わたしはそんな又吉に対して、特に興味は持っていない。


興味を持つってどういう心の反応なんだろう?魅力的な人は五万といるのに、興味を持つ人はほとんどいない。深く知りたい人など

ひとりいればいい。


散歩に寄り道はつきものということで。


なんとなくな日常も悪くないと思い始めた今日この頃。



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橋から夜景