散歩が好きだ。
どの季節も道端に咲く四季折々の花を見かけては、写真を撮ったり、撮らなかったりしながら歩く。
今日は夕方歩いたので、空には半月と右下に明るく輝く木星が見えた。日がすこしずつ短くなってきている。
歩きながらゴミを拾う。
今日はビニール袋とビニール手袋持参で外に出た。
よく落ちてるのが、煙草の吸殻、ペットボトル、煙草の空き箱、ビニールの包装の一部、ガムの包み紙、などなど。
昔のように道がゴミだらけではない分、落ちていると目立つ。なので、ちょっと拾っただけで道が綺麗になる。気分がいい。
ただ、煙草の吸殻だけは結構落ちているので、全部拾うかを、すこしだけ躊躇った。全部拾うか、煙草の吸殻は無視を決め込むか…。結局、その時の気分で決めることにした。
犬の散歩をしている人たちとすれ違う。
トイプードルや、雑種、ダルメシアンや、海外種の知らない犬がいた。それぞれに可愛らしさがあって、犬を見かけるのは嬉しかった。
わたし自身は犬とも猫ともあまり縁がない。犬好きと猫好きって、はっきり性格が分かれる気がする。なんとなくだけど、猫好きな人ってひとりが好きで無口な気がする。
こどもの頃、家で飼ったのは、メダカと金魚とセキセイインコだった。いちばん好きだったのは、メダカだった。百草に隠れてるメダカを探すのが楽しかったような、、。
母親が道端で''はこべ''という七草の一種である雑草を詰んできては、セキセイインコにあげていた。セキセイインコは''はこべ''が大好物だった。わたしは、はこべを食べるインコを見るのが好きだったが、インコを好きだったか?と問われたら、答えられない。
恐らく、生き物との相性はそんなによくないのだ。
そんなことを考えながら、散歩は続く。
貨物列車の線路を横切る。
貨物列車の線路のわきには…から始まる大好きな詩がある。自分の詩だ。
昨日の心許なさは、やはりあらかた消えていたが、どこかに微かな名残を感じる。それを感じながら、月を見上げた。
歩きながら、徐ろにスズコウナイトという番組をYouTubeで聞く。向井秀徳・マエケン・総ちゃん(フジファブリック)・吉澤嘉代子の回だ。司会は又吉。
みんなカッコいいアーティストだ。歌もカッコいい。
総ちゃんが志村(フジファブリックのボーカル)が死んでしまい、その後にはじめて作ったECOHという曲を歌ったあとに、『しんみりしちゃいましたね。すみません。』と言ったら、向井秀徳が『しんみりするよ。……よかったですよ。』と言ったところが、好きだった。
又吉って、不思議な人だなぁーと思う。うまく表現できないけど、神様に好かれるタイプの人なんじゃないかな?他人をリスペクトするのと同じく、自分に対しても俯瞰的にリスペクトしているのを感じる。発言の中に、他者への真っ直ぐな好奇心があるように思う。色んな人や出来事にインスパイアされがちな感じ。
わたしはそんな又吉に対して、特に興味は持っていない。
興味を持つってどういう心の反応なんだろう?魅力的な人は五万といるのに、興味を持つ人はほとんどいない。深く知りたい人など
ひとりいればいい。
散歩に寄り道はつきものということで。
なんとなくな日常も悪くないと思い始めた今日この頃。
橋から夜景