朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

記念日

今日は、夏至であり、新月であり、日食であり、そして、わたしのブログ開設一周年記念日である。


おめでとう。じぶん。

大した成長もしてないが、一年間ひとつのことを続けたことは、素直に褒めたいと思う。自己満足に終わってる可能性は否定できないが、自己満足に慣れる訓練はだいぶ積めたと思うし、日々移り変わる心模様を包み隠すことなく開示しつづけたことは、わたしを生きる力になった。


今日は、あるイベントを通じ、本当に思っていることを言葉で人に伝えることの難さを痛感した。言いたいと思っていたことの一文字もまともに伝えることができなかった悔しさが残っている。こういう想いを繰り返すたび、''自分はなんてつまらない人間なのだろう…''と、ガッカリするし、自分のなかで確かに大事な何かを掴んだと思った時ほど、何も大事なことをわかっていない。ガッカリを避けるように、半端なことを話しては、笑って核心部分を誤魔化してしまう。

複数人のイベントでは、大概、ひとりひとりが本当の本当に思っていることを自分の言葉で話していない気がして、人の話を聞きながら''もっと本音を聞かせてほしい!''と、胸のなかに熱く滾る想いを感じながら黙って過ごすことが多かった。たぶんわたしは真面目なんだと思う。本音を話し合わないなら、なぜイベントをやる必要があるのだろう?と、軽い怒りすら湧いてくる。複数人のなかで本音を話すことが怖いのは、自分の考えがみんなと違って、決して受け入れても、受けとめても、共感も得られないだろうと、はなから人に対して(自分に対しても)諦め、本気で信頼できていないからという気がする。だから、ある程度のライン上の思いまでしか話せず、なんとなくいい話できたんじゃない?程度に着地し、不完全燃焼感だけが、確かな手応えとして自分の内に残る。ほかの人のことはわからないけれど、少なくとも自分はそうだ。昔から人を笑わせることができる人に憧れていて、それができる人に対して、劣等感を抱えてきた。この劣等感の源はなにか考えた時に、圧倒的に頭をつかっていないことと、失敗を恐れて行動できないことが二大原因のように思う。とにかく自分はまだ人を笑わせられるほど何かをやりきっていないし、経験と体験不足なのだと、経験も体験も過多気味の人を前に、敗北感が否めなかった。勝ち負けなんてないけど、やってきた人たちを、今も現在進行形でやっている人を、心の底からカッコいいと思うし、尊敬できる。大切なものを背中で教えてもらった気分。『有難いなぁ〜』と、思う。


早朝から散歩し、神社を参拝し、料理もして、人と話しながらごはんを戴き、運動をして汗を流し、またごはんを食べながらお喋りし、木々の間から流れてくる風に吹かれてシャワーを浴び、夜の散歩に出かけ、蝋燭に灯る火を眺めながら今日を振り返った。


燻る想いはあれど、振り返ってみれば最高の一日だった。


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朝 神社