朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

Infinity


気づいたら自問自答の旅に出ていた。

交通機関は遮断され自由につかえないため、イマジネーションという手段による、行きたい場所と想いを巡る約10日間ほどの旅路だった。


静けさの中を独り歩く日々は、発信に偏りかけていた自分のバランスを取り戻すために、わたしのこころが求めたものだ。わたしは少し喋りすぎていた。慎ましく守るべき大切なものは心に留めておこう。


……このブログをはじめてから、10日も更新しないことは初めての試みだった。同時に連日noteにアップした絵本の朗読も、童謡の歌唱もやめた。

わたしはその状態を客観的に観察した。発信することに依存していたのであれば、不安になるのではないか?と思ったが、まったく不安にはならなかった。寧ろ安定していた。立ち止まって自分を見つめる時のなかで、誰かのためとか言って、表現をすることは違うような気がしてきた。

あくまでも自分がやりたくてやったことが、その時々にそれを必要とする誰かの胸にそっと響いたら、すこしだけ嬉しい。それが自然だし、ほんとうだ。

やはり見てくれる人の数は関係ない。大事なことは数ではなく、目に見えないほんとの想いの共有や共鳴だ。

その気持ちに行き着くと、今のわたしは、このブログを、絵本の朗読を、童謡の歌唱を、ただ自分が、やりたいときにやればいいと思えた。

それがわかったので、まずはブログを再開することにした。


この10日の間、ひたすらぼーっとすることを心がけた。

辺りを見渡せば、雨の日にも花は咲き、曇り空にも鳥は飛び、晴れた夜には木々の囁く声が聴こえた。

思考の空白が生み出したスペースは、いまは自身の源泉から湧き出た愛により満たされている。


先日、かなり久しぶりに不思議な夢をみた。

それは、貴船という場所から、船に乗ってどこかへと運ばれてゆく夢だった。船着場は人々でごった返し、わたしは愛車(なぜか自転車)と共にその船に乗り込んでいた。行き先はわからなかった。今のわたしが望む新たなパラレルワールドだったのかもしれない。


貴船というキーワードを元に検索したら、京都の貴船神社がヒットした。思わずHPを見る。なかなかの情報が入ってくる。

けれど、ここからがこれまでと違うところ。

そう。

わたしは自分の使命から勝手に卒業したのだ。使命なんて古い概念とは決別した。

(決別したが、わたしがほんとにやりたいことをやりたいようにやりだしたら、それが使命のようなものになる予感はしている。)

心に思い描くのは、軽やかで輝かしい明るい未来だけ。故に、貴船神社の情報はスルー。

神さまとの関係は続くが、これからはあくまで自分主体で動こう。

夢はただの夢。自分のいいように自由に受けとる。


さて、そんなニュースタイルの自分にいま降ってきたインスピレーションを忘れずに記しておきたい。


**


カンパニーの時代が始まる

貨幣価値の衰退

食養生

衣食住 / 原点回帰

東洋医学の見直し

生命力で知識を超えてく

魅力で繋がる人間関係

創造は無限大

素人でも心技体

心に従う

こころがあれば大丈夫

つまりあなたのままで大丈夫

元気があれば喜怒哀楽

くだらない理由でいいじゃん

そんなことのために叶えたい夢とか最高

悲観に暮れてもごはんは食べたい

できることならいいものを食べたい

この人から買いたいとか、この人の作ったものがいいとか、この人の声が聞きたいとか、この人の雰囲気にほっとするとか、この人はひと味違うとか、そういうものに価値がつく

何も目指すな

ぼーっとしつづける勇気を貫け

やってくれる人には感謝

クリエイティブとは自分を生きること

あなたがいいと思われたら勝ち

人の振り見て我が振り見直せ

他者から学ぶ以上に自分に集中

与えられるまで待つ

無駄に動かない

時に、何もしないことが寄り添うことになることを忘れない


**


インスピレーションとか言ったけど、いま思い浮かんだことをそのまま書きだしただけ。


わたしたちはみんな大丈夫だと思う。

なぜなら、わたしがそう決めたから。

これからは、そんな感じでいける気がする。

あくまでも、気がするお話。



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千鳥ヶ淵に憩う