気づいたら自問自答の旅に出ていた。
各交通機関は遮断され自由につかえないため、イマジネーションという手段による、行きたい場所と想いを巡る約10日間ほどの旅路だった。
静けさの中を独り歩く日々は、発信に偏りかけていた自分のバランスを取り戻すために、わたしのこころが求めたものだ。わたしは少し喋りすぎていた。慎ましく守るべき大切なものは心に留めておこう。
……このブログをはじめてから、10日も更新しないことは初めての試みだった。同時に連日noteにアップした絵本の朗読も、童謡の歌唱もやめた。
わたしはその状態を客観的に観察した。発信することに依存していたのであれば、不安になるのではないか?と思ったが、まったく不安にはならなかった。寧ろ安定していた。立ち止まって自分を見つめる時のなかで、誰かのためとか言って、表現をすることは違うような気がしてきた。
あくまでも自分がやりたくてやったことが、その時々にそれを必要とする誰かの胸にそっと響いたら、すこしだけ嬉しい。それが自然だし、ほんとうだ。
やはり見てくれる人の数は関係ない。大事なことは数ではなく、目に見えないほんとの想いの共有や共鳴だ。
その気持ちに行き着くと、今のわたしは、このブログを、絵本の朗読を、童謡の歌唱を、ただ自分が、やりたいときにやればいいと思えた。
それがわかったので、まずはブログを再開することにした。
この10日の間、ひたすらぼーっとすることを心がけた。
辺りを見渡せば、雨の日にも花は咲き、曇り空にも鳥は飛び、晴れた夜には木々の囁く声が聴こえた。
思考の空白が生み出したスペースは、いまは自身の源泉から湧き出た愛により満たされている。
先日、かなり久しぶりに不思議な夢をみた。
それは、貴船という場所から、船に乗ってどこかへと運ばれてゆく夢だった。船着場は人々でごった返し、わたしは愛車(なぜか自転車)と共にその船に乗り込んでいた。行き先はわからなかった。今のわたしが望む新たなパラレルワールドだったのかもしれない。
貴船というキーワードを元に検索したら、京都の貴船神社がヒットした。思わずHPを見る。なかなかの情報が入ってくる。
けれど、ここからがこれまでと違うところ。
そう。
わたしは自分の使命から勝手に卒業したのだ。使命なんて古い概念とは決別した。
(決別したが、わたしがほんとにやりたいことをやりたいようにやりだしたら、それが使命のようなものになる予感はしている。)
心に思い描くのは、軽やかで輝かしい明るい未来だけ。故に、貴船神社の情報はスルー。
神さまとの関係は続くが、これからはあくまで自分主体で動こう。
夢はただの夢。自分のいいように自由に受けとる。
さて、そんなニュースタイルの自分にいま降ってきたインスピレーションを忘れずに記しておきたい。
**
カンパニーの時代が始まる
貨幣価値の衰退
衣食住 / 原点回帰
東洋医学の見直し
生命力で知識を超えてく
魅力で繋がる人間関係
創造は無限大
素人でも心技体
心に従う
こころがあれば大丈夫
つまりあなたのままで大丈夫
元気があれば喜怒哀楽
くだらない理由でいいじゃん
そんなことのために叶えたい夢とか最高
悲観に暮れてもごはんは食べたい
できることならいいものを食べたい
この人から買いたいとか、この人の作ったものがいいとか、この人の声が聞きたいとか、この人の雰囲気にほっとするとか、この人はひと味違うとか、そういうものに価値がつく
何も目指すな
ぼーっとしつづける勇気を貫け
やってくれる人には感謝
クリエイティブとは自分を生きること
あなたがいいと思われたら勝ち
人の振り見て我が振り見直せ
他者から学ぶ以上に自分に集中
与えられるまで待つ
無駄に動かない
時に、何もしないことが寄り添うことになることを忘れない
**
インスピレーションとか言ったけど、いま思い浮かんだことをそのまま書きだしただけ。
わたしたちはみんな大丈夫だと思う。
なぜなら、わたしがそう決めたから。
これからは、そんな感じでいける気がする。
あくまでも、気がするお話。
千鳥ヶ淵に憩う