朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

透明な器

わたしには、前から漠然となりたいもののイメージがある。それは、透明な器だ。

自分という意識を捨て去り、ただ素材を活かす透明な入れ物。


誰かに勇気を与えることは得意だ。その人の魂の美しさは会って話せばだいたいわかる。

わたしがわかったところで、本人が自分の美しさを認め、輝かせる意志を持たない限り、始まるものも始まらないが、あるということをまず示したい。


今日ある人に、『あなたは人に与えることは得意かもしれないが、自分を疎かにしているんじゃないか?』というようなニュアンスのことを言われた。

それに対して、わたしはすぐ、〝違う〟と思った。自分を疎かにしているわけではない。わたしにとって、自分を生きるということが、そのまま、誰かを輝かせるために存在しているという方がしっくりくるのだ。自分のために生きる必要などない。そんなもの数々の前世でとっくにやり切っている。これは、自愛とは話が違う。自分という存在そのものを認め、生きるということは、イコール自分のために生きる人生ではないと思っている。

わたしの今世は、誰かのために存在した結果、自分もしあわせ、というカタチがいちばんしっくりくるのだ。


透明な器は、その時々にいろんな素材と出会うことで、活かされる。

いい人間関係とは、どの立ち位置にいたとしても、対等で、相互補完的作用があり、活かし合える関係だと思う。


いまの自分そのままで価値があるとやっと思えるようになったのに、簡単に覆されてたまるか。挑発にのって、本当にやりたいと思っていないことを、やらなければ!となるのはおかしい。


……けれど、この流れが全くなんの意味もないわけはない。わかってる。本当は心は答えを知っている。自分を信じろ。ここから大事な意味を見出せ。


あの人生の転機に勤めた飲食店を辞めるとき、夢を公言した。


わたしは、わたしに会いたい人が来るお店がやりたい。


ここで言うお店とは、今までのような飲食店の当たり前のやり方ではない、再小規模の設備で、家庭レベルでできる簡単なシステムの部屋のようなイメージをしている。サッと始めて、サッとたためるのが理想。幼少期に父と通った喫茶店のママのような、浅草の宿屋で出会ったママのような、気軽に話せるあの存在。''おいしいものと人''それらはわたしの人生に欠かせない大事な要素だと思う。


上記話と繋がっているのかどうかはわからないが、この存在になったら、わたしはきっと嬉しいだろう。


目を閉じて感じる。

冒険の現在地の確認。


まだ夢の途中

大きな夢の途中なんだ。



f:id:like_nanohana:20191201211312j:plain


フライング2020スタート!!