朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

余裕

言葉で説明することはむずかしいが、いまのわたしの状態は、とてもよいようだ。


わたしの職場である人生道場は、休業せずに店を開け続けている。

創業当時から勤めている先輩スタッフ数名は、年齢的に、もしコロナになってしまうと、即座に命にかかわる危険性があるため、大事を期してお休みしている。その代わりに、コロナ特殊部隊員(実際にマスターに命名されたw)として、わたしは連日出勤している。

こちらとしては、出勤日数は多いものの、勤務時間は短いため、健康のためにも、人生の学びのためにも、働かせて頂けることはありがたい限りである。


毎朝15分ほど歩いて店まで行く道中、しっかり朝日を浴び、朝のクリーンな空気を吸い、ツバメの巣を覗き込んでは、『おはよう!』と声をかけ、店では、とにかく気持ちのいい挨拶と笑顔を心がけ、礼節を意識した動きと呼吸を極めるべく、研鑽を積む毎日だ。

武道も接客も''一期一会''

常に、次は無い気持ちで対象(お客さん)と向き合う。

歯車がすべて噛み合ったときは、非常に気分がいい。自分という存在が、活かされたと感じるからだ。同時に、相手からも受け取るものがある。


当たり前のことを当たり前にやり続けることの凄み。

わたしに、この店を築き上げた人たちの役に少しでも立てることがあるのであれば、いまの自分にできることはすべてしたい。そして、任務を終了したらサッとここを去るのだと思う。


ここで働くことが決まった当初、わたし自身に宇宙からおかれた課題だと思ったが、どうやらそうではなく、この店を、ここで働く人たちを、危機から救う任務を与えられていたのだということに最近気づいた。悪くない任務だ。あの人たちの力になれることは、わたしの喜びでもある。


帰り道に雑草の写真を撮ることもすっかり日課になり、植物との仲も深まった。

ことばの要らない世界にほっとする瞬間がある。無償の恩恵を勝手に受けとっている。

植物は恩を返して欲しい、などとは思わないだろう。''好きに生きたらいいのよ''と、美しく咲き誇る花々からの囁きがこころに届く。


『そうか。好きに生きたらいいのか。』

五感で理解する。


ことばは危うい。

その言葉のもつほんとうの意味を、自分が、相手が、体験を通して感じたことなしには、ほんとうには伝えられないし、ただしく受け取れない。

だから、本当のことばで会話ができる人はなかなかいない。


わたしは本当のことばで会話がしたいから、できないなら無理に話さなくていいな、と最近思い至っている。

けれど、嬉しいのは、本当のことばで会話ができた時だ。『そう!そう!そう!そう!』と、心の底からわかり合えたことが嬉しくて、表情とか、身振り手振りとかを交えて、全身で喜びを表現できたときは最高だ。


それを知っているから、わたしはやっぱり人に向かうのだろう。

最高な瞬間をいっぱい味わいたくて、生きているのだろう。


だって、わたしは人が好きだから。



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キラキラ星を弾いていた