朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

深呼吸

あまりに固唾を飲む状態でいつづけたため、息が詰まってしまった。一旦ここで深呼吸。

なんせ、人生道場が相手だ。

意思が揺らぐ前に!と勢いで連絡するも、その思いを見透かされたのか、来週へと舞台は持ち越された。冷静に己を見つめる時間が与えられてしまったことで、揺らぐかと思いきや、芯がスっと通っている。第一チャクラと丹田に力がしっかり入っている。大丈夫だ。

22日の冬至明けに動く。


さて、というわけで、長い長い冬眠期間はまもなく終わりを告げる。そうなると、たちまち冬眠が恋しい。心中してもいいくらい、愛し合っていたわたしたち。もうすぐお別れなんて、、切なすぎるわっ。与えられた時間をめいっぱい冬眠とのラブラブ時間に充てよう。温もりに包まれて過ごした日々よ、ありがとう。また逢う日までさようなら〜


気づけば、もうすぐクリスマスだ。


子どもたちが小さかった頃は、毎年手づくりのクリスマスケーキを作った。これだけは家族みんなが大好きで、8等分し、翌日の分も残して楽しみに食べた。(もちろん娘にイチゴを盗まれながら笑笑)


どういうわけか、お店で買ってきたケーキは一個食べるとグッときてしまうのだが、手づくりのケーキはまったく逆で、一個じゃむしろ物足りないくらいペロっといけてしまうから不思議だ。クッキーにしろ、ドーナツにしろ、チーズケーキにしろ、とにかく手づくりのおやつは軽い。材料も去ることながら、やはり手づくりに鍵がありそう。


手づくりはわたしの今後の人生で追求するテーマのひとつになるだろう。自分にとっての手作りとは!に答えられる流儀を身につけたい。


今日の気づき。

わたしはこれまで次元とか、タイムラインとか、波動とかチャンネル(言ってないかも)とか周波数などの言葉を用い、何やかやとシュピリチュアル的解説をしてきたが、このことを今ひとつ自分で掴みきれていなかったのだが、今日ちょっと分かった。


どうして今までわからなかったことが、急にわかったりするのだろう。わからなかったことがわかるって、とっても楽しい。


それをきっかけに、好きじゃないけど、YouTubeでお金の勉強動画などを見る。わたしがNO知識でイメージしていたことは、どうやら間違ってないっぽいことがわかる。何かを知るとき、何度も何度も疑うことはとても大事なことだと思う。考えすぎてパニくる可能性もあるが、そんな時大事にすべきは、自分の直感(感覚)と信頼できるであろう(これも疑いながら)人物から発信される情報だ。知識を得た上で、自分はどうしたいか、そこに的を絞る。


わたしはこれからの社会は人間力だと考えている。この人がいい!と思われる(選ばれる)魅力を放つ人間に自分が育てば、苦手なことなどやらずとも、その人がただ存在していることに大きな価値が生まれるだろう。


その魅力は本来誰しもが持って生まれてきている。好きなことをやることで、その人本来の魅力は磨かれていき、周囲に伝わり出す。

わたしで言うなら、例えば、おいしいものを食べる、料理やお菓子作りをする、ブログを書く、詩を書く、手紙を書く、写真を撮る、人に会って会話をする、恋をする、シュピリチュアルの理解を深めるetc...


ひとつのことを極めたいというのは、わたしにとっては、自分という人間の中心に確固たる自信を持ちたい、ということと同じだ。自分が凛として堂々と大地に立つことができたなら、何だってできると信じている。


いま、すべてが趣味止まりなのは、人に提供する自信がないからだ。自信がつけば、すべてをちゃんと形にして提供したい。


正直言えば、自信がなくてもやれる人はどんどんやった方がいいと思う。トライ&エラーを繰り返しながら一歩ずつ前進し、そうやって、いつの間にか気づいたらうまくいっていた、という人はいくらだっているからだ。

このやり方を実践したりもした。けれど、どうしてもしっくりこなかった。単純に飽きっぽいからかと思ったりもしたが、多分そうではなかったのだ。


わたしの魂は修行を求めていた。

修行を乗り越えた暁に、自分という人間の魅力を発揮して生きていけることをわかっていたからだ。


今まで挫折する度に勝手に傷ついては、自分を慰め、甘やかし、逃げ続けてきた。

それなりでいいのであれば、この自分でも十分幸せだ。有難いことに、沢山の人に支えられて、今もこうして生きている。

ただ、どうしても、どうしても、自分だけがこの自分に納得していなかったことに気づいてしまった。

熊野の旅はその自分に出逢うための旅だったのだ。そして、0スタートからの、言挙げだった。

だからこうして本当の望みである修行の場が宇宙から降ろされた。全てが繋がっていた。


このブログを始めたことも、実は今ここに繋がっていたのかもしれない。確実に言えるのは、これをやっていなかったら、ここまでクリアに自分の真の望みを知ることはなかっただろう。


まだ修行は始まっていない。

けれど、覚悟を決めた時点で自分の弱さには打ち勝つことができた。その先へ迷いなく突き進める。それが今だということ。


これを読んでくれているあなたが、もし今の自分に満足できず、迷い悩みどうしたらいいか苦しんでいるのであれば、まだ自分が本当の自分に出会えていないことを知り、現在地の確認から始めてみてはどうだろうか。


魂の冒険はもちろん楽しいことばかりではない。蕾が一枚一枚の花びらを開かせていく時に痛みが生じたりもする。けれど、わたしは死ぬまで冒険し続けることができるなんて、なんて最高な人生だろう!と、心の底から叫ぶことができる。最期に自分がどんな花を咲かせるのかをわたしは見届けて還りたい。


大切な大切なひとつの命を生きることは、すべての命と調和する。


あなたがあなたという花を咲かせていく姿はきっと何にも変え難く美しいだろう。


わたしはそれが見たい。

あなたにそれを見て欲しい。


それには、わたしがやるべきことをやり続けることが大切だ。



まずは自分から。




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耀き