朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

才能

今、わたしの大好きな新生バンドが、一日一曲を生み出す勢いで創作活動に励んでいるのだが、そのメンバーのひとりが書いた詩が素晴らしく、感動している。才能の開花する瞬間に立ち会えたうれしさは、なかなか言葉では言い表せない。目の前でわたしの顔を見ていただけたら、何より早く伝わると思う。

その曲の作曲者は、若干20才の若者だが、もはや天才。生まれた時からしあわせな世界しか知らない天使であり、精霊だ。


わたしは、その詩をもしも自分が書いていたとしたら、自己満足を通り越して、この詩の良さがわからないなんて有り得ないな、と怒りを覚えてしまいそうなほど、凄いと思っている。


もしかしたら、わたしたちにはこういう気持ちが足りないんじゃないだろうか。こういう気持ちとは、自分の才能に対する自信だ。自信とは、自分を信じると書く。

自分の持つ秘めたる力を軽んじて、遠慮したり、誤魔化したりして、本来の力を発揮しきることなく日々を過ごしていないだろうか。才能なんてそれぞれ当たり前に持って生まれてきているのに、ただ、それに気づこうとせず、自分を殺しているのは自分なんじゃないか。有名人は、才能があったから有名人になったのではなく、ただ自分を信じ続けることができた人たちなんじゃないのか。才能を生かす努力を続けた人たちなんじゃないか。才能を生かすも殺すも自分次第という言葉があるが、正にその通りだと思う。


では何故、大多数の人々が才能を殺す方を選んでしまうのか?それは、いつからか、一部の人間に都合のいいシステムにこの世界は作り変えられてしまったからだ。それに気づかせないように巧妙にわたしたちは洗脳されて生きてきた。才能を発揮すると八つ裂きに合うように、大多数の洗脳された人間同士で叩き合うように罠が仕掛けられているのだ。この悪しきループを抜け出すには、わたしたちひとりひとりが、本来の自分に目覚める必要がある。目覚めるのは簡単だ。


《  自分の頭で考え、自分の心で感じる  》


それを積み重ねていけばいいのだ。そのためには、悪しきループから抜け出す勇気も必要だ。勇気を出してこのループから抜け出したわたしは、この約3ヶ月の間にそれらのことを理解した。アセンションという言葉を毛嫌いする人が多いのは、目覚めた一部の人間だけが助かるという意味で捉えている人が多いからだと思う。わたしは、アセンションとか正直どうでもいい。言いたい人は言えばいいし、気に入らない人はそんなのスルーすればいいと思っている。

わたしはあくまでも、今生自分の魂が決めてきた人生の冒険を楽しむために、是が非でも自分に目覚めたいと、その強い思いに殉じたことで、この世界の裏の真実を知ったまでだ。


わたしは本当に何者でもない。なんなら今現在、41歳の無職だ。社会不適合者に認定されてもおかしくない。だが、わたしは自分の本来持って生まれた才能のようなものを思い出した。これから先、この才能を活かして生きていく。きっと、それが本来あるべき自然な姿のはずだから。それが機能すれば、必ず誰かの役に立つと信じている。


あなたの才能は何ですか?

あなたの才能を発揮して欲しい。

それがこの世界を救う鍵になる!



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愛をこめて