朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

2019年9月1日

満月で頭がおかしくなるのは聞くけど、新月で、おかしくなってしまったようだ。


一昨日の夜は、わたしにとってたったひとりの生きている女神と町の蕎麦屋で偶然会うという、スーパーミラクルが起きた。


たくさん大切な話をして、幸福に包まれて数時間を過ごしたが、その後ひとりになり、自分がどこにもいないような、いったい何をしたいのだろう、、というような、よく分からない精神状態に陥った。

安定などもはやない。安心と安定をわたしは空の彼方へと放り出してしまったのだ。


一体なんのために?


この日記でも頻繁に、自分の使命だとか、役割だとか、お役目だとか、そういった類のことを言い続けた。時代の流れも、高次の存在からのメッセージも、ぜんぶ嘘じゃない。すべて本当に自分がその時思ったことだ。自分にはやらなければならないことがあって、誰かのためになるような生き方をしてこそ、本当の自分の命が生かされる、そうなにかに、いや、自分に急かされた。


けれど、わたしはそれらを意識しすぎることで、いちばん大切なわたし自身を蔑ろにしていたような気がしてきた。本来の魂の願いは、もっともっと、ささやかで素朴でなんてことのない日常なのかもしれない。愛だけがある日々を淡々と過したい。ただ、好きな人と安心して暮らしたい。こっちが本当の本当の願いなのではないか?頭がおかしくなって、ふと、湧き上がってきたのがこの気持ちだった。


この日記だって、続けたい気持ちが持続することが生きている証なのに、連続投稿記録を維持したいって、なんでそこにフォーカスしたのだろう?頑張って何かを成し遂げることがいいことだと、まだ、自分の中にそんな固定観念があったのではないだろうか?ダメな自分を許して、許して、許してこそ、人も受け入れられる心の柔軟さや、優しさが育つのではないだろうか?挑戦するとしたら、そういうものに挑戦したい。挑発されても、どうしてもやらなかったこと、貫いたことには、意味があるはず。


窓から流れ込む風はもうすっかり秋だ。


涼しいこの風に吹かれる季節がわたしは大好きなのだ。

落ち着いて、もう一度、自分を取り戻そう。明日この肉体を去るとしたらどうしたいか、その気持ちを知りたい。その気持ちは本当の自分の願いだ。誰かのために、とは思えないだろう。それがたとえどんなに、自己中心的なわがままなエゴだとしても、自分のために生きたい。そんな罪深い自分を許し受け入れ愛したい。


そんなことを想う秋のはじまり


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朝 秋雲☁️