Mさんはソウルメイトというより、わたしの中の女性性が、いまも、これから先も、変わることなく最も敬愛する愛の女神である。 彼女に出会ったということは、わたしはこれから先の人生のなかで、自分の女性性を開花させて自由に羽ばたけるのではないだろうか、という、輝かしい希望を胸に抱かせてくれた。
Mさんは、わたしが女として持ち合わせたいと願う憧れの要素をほぼ全て持っている人だった。わたしが男だったら、間違いなく簡単に落ちるだろうなぁ~と、Mさんと話す度に、Mさんが男子と話すのを見る度に、そう感じていた。彼女は、自分の魅力を十分理解していて、それを自由自在に扱える人だった。
当初わたしは、Mさんを崇め奉って常にへりくだった態度で接していたが、一緒にランチしたり、お茶したり、ヨガに行ってみたり、関わりを深めていくうちに、彼女もわたしの良さをたくさん見つけてくれるようになり、いつの間にか距離が縮まっていたように思う。 わたしはMさんに自分から赤裸々に色んな話をしたし、泣きながら電話して慰めてもらったこともあった。 それまでわたしは、前記事にも書いたが、困ったときも、決して誰かに相談をするなどということはしなかったのだが、Mさんにはなぜか自然と自分をさらけ出せた。それは、彼女が死ぬほど苦しい思いを乗り越えて、常に変化を前向きに捉え、変わり続けることを恐れながらも選ぶことのできる人だと知っていったからだと思う。 同じ女として彼女の生き方を信頼したのだと思う。
Mさんの美しさは、単に天から与えられた飾りのようなものではなく、数々の試練を乗り越えて身につけた大地に根を張る説得力のある美しさだった。
わたしは美しいものが好きだ。 そして、美しい人が好きだ。 真の美しさとは何であろう?目の前の人の中にそれを見つけたい。
あの頃わたしはこれからはMさんを目指したい!と思い、女として生きる自分の意識を高めていった。 一般的に言われる女らしさなんてもんじゃなく、イメージとしては、自分らしさと女らしさの合致する一点を見出したいと思っていたのだ。
たどり着いたのは、親しみやすさと安らぎが表で、裏は、、、なんか恥ずかしいので内緒(Mさんにだけこっそり言ってみようと思う)表は人から言われたことや、自分の視点を合わせて総合的に判断した。
あくまでも今のところの話 また変わっていく可能性もありありである。
Mさんが追求する生き方がついにひとつに統合され、世界に向け発信され始めている。
わたしの力不足で、まだそれをシェアするに至れないのが情けないのだが、彼女の素晴らしさを広めていきたいので、そのためならどこまでも頑張れそうな気がしている。
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キッチンにわたしとひと月違いで入ってきたKM(あだ名の略)彼女はキャラの人だった。 彼女の作り出したキャラは本人は多分無自覚だったと思うが、自身の魂の姿を体現しているようにわたしの目には映っていた。 周りから不思議ちゃんと思われていた彼女だが、わたしはこの人をものすごく頭のいい冷静な判断力のあるいい女だと認識していた。 KMはキャラを演じる自分の操縦室にいて、その時々で自在に自分を操り、気難しい料理長のご機嫌を上手く取り、立ち回っていた。
わたしたちの共通点はなんと言っても、料理長の大ファンだったところにある。 料理長に対する半端ない愛がわたしたちの絆を深めた。
というより、KMもわたしも料理長と本当に深い縁があったのだと思う。 まさに、ソウルメイトだったのだと思う。 KMもわたしも料理長その人を愛していたし、彼の作り出す料理を愛したし、ぜんぶが愛だった。 この実態のない愛というやつに、翻弄され、わたしたちはずいぶん可笑しな間違いもいっぱい犯していたように思う。 最後にはちゃんと笑えたし、今となってはいい思い出でしかないのだが、善悪含めて、KMがいたおかげでわたしはみんなの魂の姿をハッキリと見ることができた。 KMがキーパーソンであることは間違いないとわかっていた。
仕事のエピソードはホールとキッチンということもあり、あまりないのだが、彼女はセンスがよかった。 自分に似合うものをよく知っていたし、盛りつけなんかもすごくインパクトのある美味しそうな演出ができる人だった。彼女には華があった。 けれどそれを自分で持て余しているようでもあった。 それは、キッチンの縦社会にも関係していて、彼女が自由に自分のセンスを発揮することは、あの場では求められていないことを理解していて、その上で自分を表現したい欲求との狭間で、時々KMは不安定になった。 料理長のセンスの良さに対して嫉妬心があったのだと思う。 わたしはこの人はアーティストタイプでひとりで何かを追求するのが本来向いてるのに、あえて、誰かの(料理長のってことになる)助っ人という役割を経験したくて、ここに来たんじゃないか?そんな考察をしていた。 KMはよく『必要とされたいじゃないですか!?』というようなことを言っていたのだが、その必要とされたい、は女として男の人に必要とされたい、ということだったのかも知れない。本来の自分と、女である自分にうまく折り合いがつけられず、不安定になるKMはとても人間らしくて、わたしはそんな彼女を見ていて、それでもいいよ、とエールを送っていた気がする。
3月の終わりに料理長の誕生日を祝いたいと、KMはみんなからメッセージを集めた。他店舗の人にもお願いして、素敵なメッセージカードが完成し、当日、休憩時間を削って買ってきたホールケーキにロウソクを立て、寝ている料理長を起こす時間にハッピーバースデーの歌と共にサプライズで祝う作戦をみんなの協力を得て実行した。彼女はこれだけの企画力があるのに、実際の場面では裏方に徹し、決して前へ出ようとはしなかった。 わたしはこのサプライズに多分一番乗り気でウキウキだったため、必然的にケーキを運ぶ大役をやることになった。 作戦は大成功で、料理長は『どんな顔したらいいの?』とか言いながらも、笑顔で写真に写ってくれたことからも内心嬉しかったんだと思う。私はこのときのバースデーメッセージにこんなことを書いた。
〝〇〇さんお誕生日おめでとうございます。
先日イワシのサラダを試食させていただいた時、遥か彼方からパッフェルベルのカノンが流れてきました。 あれは〇〇さんが春生まれの人だったからでしょうか〟
これは本当の話
あの時わたしの耳にはカノンがはっきりと聞こえた。そして聞き覚えのあるあのメロディーの曲名が思い出せず、家に帰ってからGoogleで『タッタタ タッタタ タタタタタタタタ~』と検索したのだから。
理解されないであろうことを前提で話を進めるが、KMもわたしも、この時この店に導かれたのは、料理長に会うためだったんじゃないだろうか?その思いが拭えない。 説明などつかないが、どうしても今、人生のこの場面で会う必要があって人と人とは出会っている。
それをわたしはこの店に来て、出会った人達を見つめて実感した。 それくらいひとりひとりからあの時わたしが必要としていた大切なものを受け取っていたのだ。 だからわたしにとってあの場所は、職場なんて言えるもんじゃなく、家とも言えたし、舞台とも言えたし、毎日生まれ変わる動かないモバイルハウスのようでもあった。 KMとは個人的にごはんにも行ったし、飲みにも行ったし、なんなら旅行にまで行った。『Aさん(料理長)がお兄ちゃんで、しゅりさんがお姉ちゃんの大きな家族ですね。』と彼女はあのキャラ口調で時々言っていたけど、あれは魂の彼女の本心だったことを、わたしだけはわかっている。
KMが店の最後の日にくれた百合の花束