朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

前世

ふと思い立ち、昔から好きだった小説を読んだら、自分でも驚くほど泣けた。

この本は、初めて読んだ時も、その後も、読む度に泣けるのだが、今日は今まででいちばん深いところから涙が込み上げた。


なぜだろう。


季節が秋だからだろうか。夜の気温が日に日に下がりつつあるからだろうか。夕飯に舞茸の天ぷらを揚げたからだろうか。はたまた、本気で人を愛することを知ってしまったからだろうか。


よくわからない。


こんなに切ない別れを今生こそは、味わいたくない。愛する人と別れる時は、笑ってさり気なくあの世に召されたい。一緒に生きれたことに、ありがとうと感謝したいと思って間もないのに。


かぐや姫の物語を思い出す。

いや、ここでかぐや姫にいっちゃったら、また悲しみが倍増するばかりだ。だが、言う。〝いのちの記憶〟という曲がこの世に誕生していることが、他の何を差し置いても、前世はあるのだという証明と、わたしは感じている。

この小説のなかで、''袖すり合うも多生の縁''

について説明があるのだが、多生とは仏教語で''何度も生まれ変わること''すなわち、前世のことなのだそう。袖が擦り合うようなちょっとした出会いも、前世からの縁によって起きるという、ことわざらしい。もちろん、このことわざ自体は昔から知ってはいたが、多生は多少だと思い込んでおり、長年ちょっとした縁だと勘違いしていた。ほんとの意味がわかって嬉しい。


前世の話題がひとつある。

忍者先生とソウルメイトの友人が、なんと、わたしの前世の記憶を思い出したとの報告が入った。それは、いつだかの西欧で、わたしは女王様で目の前に家来を複数人跪かせて、怒り狂っていたそうだ。隣に立ってそれを見ていた彼は(王様か?てことは夫婦か?)『そこまでやらなくてもいいのに…』と思ってたんだそう。なかなか面白い。


実はわたしは小学校6年生の時、学芸会で女王様の役をオーディションで勝ち取り演じたことがある。この劇の女子の主役は別の役だったが、わたしは、主役より、女王様という役に惹かれた。先生と険悪だったあの時代に、そんな情熱持ってたとは、といささか不思議な気もしないではないが、やはり、わたしを突き動かしたのは、女王様だったのであろう。もしかしたら、この役は本家のわたしにしかできんだろう!くらいに思ってたのかもしれない。わたしは、誰に言われた訳でもないのに役作りに励み、アドリブを交え熱演した。演じて気持ちよかったことは、なんとなく思い出せる。


友人にこの話を伝えると、『自覚があってよかった笑』と言われた。


前記事で前世に興味はそれほどない、と言ったが、それは間違い。興味はある。ただ、本当に前世が視える人に視てもらって知るのはつまらないと思っている。できることなら、こんな風にこの世で出会った人との繋がりの中から自分で見つけ出した方が楽しく、面白い。


みなさんの前世はいかに?!


絶対ないだろ~なんて思うことほど、実は、真実だったりするかもしれない。前前前世とまでは言わなくとも、ぜひ、直近のひとつはご自身で思い出してみて欲しい。



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懐かしい…なんちゃって