朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

未来

過去→現在→未来

時間はこのように流れていると、当たり前に思い込んで生きてきた。

だが、ある時から、この概念は当たり前ではなくなった。

そう、魂の自分で生き始めてから、前世の記憶、未来の記憶を頻繁に思い出すようになったからだ。

なぜ、未来の記憶があるのだろう。未来とは、現在の先にある、まだ見ることも聞くことも触ることもできない未知のセカイなのではないのか?

時間が現在を起点に一方向に流れているとするなら、未来の記憶があることは説明がつかない。


わたしは、子どもの頃から漠然と、''人生は決まっている''と思っていた。自分がいつ何を選ぼうと、''最初からそうなるようになっている''そう思うことがよくあった。


たとえば、大事な人生の岐路に立っている時、AとBという選択肢があるとする。悩みに悩んで、Aを選ぶ決断をする。すると、選ばなかったBという選択の先の未来は消えてなくなるとずっと思っていた。だが、いまは考えが変わった。どちらを選んだとしても、選ばなかった先の未来もちゃんと最初から存在していて、選んだ方が間違えたと思ったなら、即座に選び直せばいいのだ。

それが自由意志の真実なのではないか?


ずっと、パラレルワールドに興味があった。だが、わたしはどんなにそれを詳しく理解している人から話を聞こうと、科学的視点で解説している人の動画や本を読もうと、どうしてもちゃんとした理解に至れなかった。

しかし、自身の魂の冒険を振り返りながら、起きた数々の奇跡のような思い出は'' あれは未来の記憶だったんだ ''そう気づいたことにより、初めてそれを理解し始めた。そして、ようやくパラレルワールドのセカイに触れることができた。


前世の記憶と未来の記憶。

言葉で説明するのが難しい。自分では理解できている。あれは前世で、あれは未来。未来の記憶のセカイを生きるためには、今ここに生きる自分が気持ちに正直に素直になることが鍵だと思う。


時間について語れていない。

結局時間(年も)とは、人間が地球という惑星を生きる上で便利な物差しというだけなのではないだろうか?もしも、暦というものがなければ、過去も未来もごっちゃまぜ。あの時、あの時、と、点で移動してきたのかも知れない。


知識をつけてから語ったんじゃ面白くないので、基本わたしの書いてることは推察や憶測だ。だって、勉強して知り得ることなら、誰がやっても大した違いがないから。ひとつある事実に、自分がどんなものを見るか、どんな感情が湧き上がるのか、それは、人によってかなり違うのではないだろうか。わたしはわたしがセカイをどう見るのかに興味がある。人と違くていい。


ダメだ。全然記事としてなっていない。更新中で日をまたいだ挙句、さらにまた日をまたぎかけている。わたしにはこのテーマを語るには早すぎたのかも。


けれど、わかりやすい解説はできなかったけど、体で理解でき始めていることは事実なので、もっと上手く解説できるようになったら、リベンジしたいと思う。


中途半端でごめんなさい。



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未来を照らす