朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

子守唄

先日のふとした閃きから、お風呂で童謡を歌って子守唄集を作りたいと思案している。


そうと決まったら、すぐやる。いまやる。練習なんかすっ飛ばし。なぜなら、上手く歌うつもりは無いから。

ひたすら優しく優しく、寂しく不安な疲れた心を包み込んであげたい!というわたしの中から湧き出す愛で歌う。故に、すぐできる。誰でもできる。


選曲は自分の好きなもののみ。季節も入り交じり気にせず。ひたすら、自分が歌って気持ちのいい曲だけを歌う。


寝る時ひとりで寂しい人や、子育て中のお母さんやお父さん、子どもたちに聞いてもらえたら嬉しい。童謡はメロディーも歌詞も美しい。子どもの頃から聞いて知っている曲は、心を穏やかにする効果がある気がする。


思いつき勝負。明日には気が変わるかもしれない。


今のところ録音したのは、


◈浜辺の歌

◈遠き山に日は落ちて

◈朧月夜

◈紅葉

◈今日の日はさようなら



次のステップが問題だ。

SNS、ひいてはネット操作全般に弱いわたしは、誰かその辺の操作の詳しい人間を頼るほかない。正直このブログも、SNSとの連携がまるでできていない現状。ひとりでも読んでくださっている方がいる以上、なんらかの手立てで、繋がりをもちたいのはやまやまなのに、やらない。


なぜだ。

なぜわたしはやらないのだ?

自分でもわからない。この曖昧な宙に浮いた状態を楽しんでいるのだろうか?単純に苦手なことから逃げているのだろうか?


やることはもちろん大事だ。

だが、やらないことも同じくらい大事だと思う。

やらないことの理由はかならず自分の中にある。本当にやりたかったら、とっくにやっていると考える。やらないのは、やりたくないのかもしれない。繋がりたいのに、手立てを封じている。本当は繋がりたくないのか?いや、ちがう。環境を整えることはやりたくないが、みんなとは繋がりたいのだ。

目に見えない世界で心と心で繋がるという経験をしてみたいのだ。


ハイテクから遥かなん光年離れている。そんなのアナログですらない。それでも、好きな人に好きと言われなくても、心は通じ合っていることを信じるように、姿形のわからない今これを読んでくれているあなたとわたしは、確かにこのセカイで繋がっていることを信じてみたい。


何を言わんとしているか、伝わらないだろうか。伝わらないかもしれないが、伝わって欲しいと祈る。



ただ、祈るのです。



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紅葉🍁