朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

無に戻す

いよいよ、このブログを始めたことの真意が自分なりに掴めてきた。


5年ほど前に''この人は真実を語っている本物だな''と心を掴まれた方が発信していた、ずっと胸に引っかかっていながらも、真意が掴めずにいた言葉がある。


それは、無を無に戻す。  


無を無に戻すとは一体どういう意味だろう?

頭でいくら考えても、それらしい答えには行き着くことができなかった。

それが、どうしたことかいよいよわかり始めたのである。  思考からは絶対に出すことのできない答えであった。


ここ連日、気づきが気づきを呼び、身体をいろいろな場所に連れて行かれ、ありがとうをたくさん伝える機会に恵まれている。 こうも連鎖してくると、もうこれは、呼ばれているとしか思えない。

この現象は間違いなく、恵なのだと思う。

ありがとうの機会を与えていただいているということだろう。


わたしのようにまだ紙一重の空間に浮いてるような状態だと、ひとつの記事に赤と青(色は何でもいい)を綯い交ぜにしてしまい、誰にでもわかりやすく伝えることができない。

お役目を果たす覚悟はでき始めている。

でき始めているのは間違いないが、できた!とまでは言いきれないのは、準備を進めている最中だからだ。  もっともっと、変容は進められるはず。

だから、赤も青もいまはどちらも必要だ  まだまだ未熟には変わりない。  


ひとつだけ、この記事を読んでくださってる方に伝えられることがあるとすれば、すでに色んな方々が言っていると思うが、何度も何度も突っ込んでは転んでください!ということだ。   トライ&エラーというやつだ。

それをテンポよく重ねていける人は恐らく早く気づきがくるはず。 

最近ある人の言った失敗はない!という言葉がひとり歩きしているが、こうなりたい!こうしたい!という願いの元に行動して、その願いが叶わなかった時に人は失敗したと思うのだから、その時に失敗と感じることは当たり前だと思う。

 

けれど、大きな視点でその起きた現象を捉えると、その人が感じた失敗は、なりたい自分、いや、本来の自分に戻る気づきのための大事な栄養素になるので、失敗ではないですよ、となるのだと思う。

早ければいいというものではない。

わたし自身、回り道が楽しくてまだまだここにいてもいいかなって、身体はかなり長いこと同じ場所に踏みとどまった。


しかし、動く日が近づいてることを流石に認めざるを得ないところまできている。


100歩ほど先のビジョンがいつも先にきてしまい、そっちばかり見ることで、足元の障害物に気づけずにコケまくって、いつの間にか目の前の1歩を出すのにとんでもなく大きな勇気が必要になっていた。

けれど、ようやくそれにも気づいたので、目の前の1歩を大切に進めていきたいと思う。


人の話を聞いても、目にしても、分かりずらかったから、わたしはわたしにも分かるくらいわかりやすく説明しようと思ったのに、まるでできていない。 申し訳ない気持ちでいっぱい。


誰かの役に立つためのお役目なのだから、そこが機能しないのは大問題。


みなさんのためにも精進致します。


そして、いま生きていることに違和感のあるみなさま、大丈夫です。

かならず、目的地へ行ける日がきます。

そのためのわたしの日記なんだと思います。


信じましょう 自分の力を!

生まれてきた奇跡を!

わたしはあなたの力を信じ続けます。


これもひとつのメッセージだと思って受け取ってください。


きっと次に繋がります。




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万物と共に