朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

大事なものは目に見えない

わたしが安定していない時は、たいがい目にみえるものばかり見ているときだ。わたしが安定してパワーみなぎる時は、たいがい目にみえないものを見ている時だ。

 
そう。大事なものは目に見えないから、心で感じるアンテナを張り巡らせる意識で生きていないと、すぐに不安定になる。偽物で塗り固められたセカイに安定など存在しない。本物(本当)を貫いているところに、真の平和がある。だから、誰になんと言われようと、自分の心が惹き付けられるものは、大事にしたい。人でも物でも、一見醜いように見えるものでも、本当は美しいということはある。反対に、一見美しいようで、本当は醜いものも、実によくある。
 
家のポストに近所の教会のクリスマスのミサのチラシが入っていた。
そこには、''光は闇の中に輝いている''
と、書いてある。
 
そうなのだ。光が美しく、闇が醜いのではない。光の中にも醜さはあり、闇の中にも美しさはある。どちらもそれがあって成り立つ。
糾弾の対象にはなり得ない。光と闇はひとつだ。わたしたちは光でもあり闇でもある。それは自然なことなのに、なぜ、闇に偏ったのか、なぜ、光に偏ったのかを知る必要があると思う。
 
判断基準は常に自分にある。既存の概念を疑わないことには始まらない。当たり前に人々が信じきってしまっていることが多すぎるからだ。自分で感じることをせず、当たり前というものに乗っかっていると、いつしかそれは、固定観念として、自分に染み付く。目に見えるものを見たままに判断していると、脳は、美しいだの、醜いだのと、ジャッジを始める。自分も常にジャッジに晒される。
 
本当に?
 
自分が何を信じて生きたいかは、どの瞬間からでも選び直せる。おかしいと思うものは、いっそ、ぶち壊して、新しい概念に作り変えればよいと思う。自分を創造主だと思い込めば、つくりだせないものは無いかもしれない。
 
わたしは散々、真実の男女のご縁結びについてやりたいと豪語してきたが、まずは、自分がその先陣を切りたい。
ひとりひとり違う魂の計画にそれぞれが気づき、目覚め、生き始めたら、その計画を一緒に遂行する相手とかならず出会うと信じている。(※本人が魂の計画を思い出したいと思わない場合を例外として)
これからは、ひとりで完結するより、支え合う男女が協力して、仲間を増やし、それぞれの得意を持ち寄って、大きなことを成し遂げる気がしている。別に大きなことを成し遂げなくても、大勢じゃなく、もちろん2人でもいいのだが、真実の2人なら、新しいセカイに相応しい、愛で生み出す新しい概念を創り出せると思うのだ。それにより、今までのセカイに蔓延った負の集合無意識は一掃され、ラブ&ピースの風が吹くと思う。それが集合意識として広がれば、すべての人が居心地のいい新しい地球を創り出すことだろう。
 
書きながらわかってくることがある。今更ながら、花に学びましょう、とは、素晴らしい教えだ。なぜなら、花は黙って美しく咲き、黙って醜く散りゆく。そこになんの意識も挟まない。
人間が誕生してからの歴史を思うと、そこには、ひとりひとりの意識というものが必ずついてまわってきた。それが想念というものになり、強大な力をもって、時代に影響を与えてきたのだと思う。信仰や想念といったものの持つパワーは計り知れない。
だからこそ、自分ひとりの力を侮ることなく、大切にして欲しいと思うのだ。
 
なぜなら、集合体の始まりはわたしであり、あなただからだ。
 
これだけ色んな人が地球規模の大事な節目と言っている理由が、自分の頭で考え、目に見えないものを感じ、行動した結果、理解できた。一部の人間に都合のいい当たり前として植え付けられた固定概念を壊せるのは、わたしたちひとりひとりの選択にかかっている。自分が生きたいセカイの創造主である自分の存在を大きいものにするも、小さいままに留めるも、自分の手にかかっているのだ。
 
わたしたちは今この瞬間を生きている。選ばれし者などいない。いや、すべての人が選ばれし者なのだ。あなたがあなたを生きることを選ぶことで、このセカイはひとつ明るさを増す。表層意識の寂しさや不安に目を向けたまま恋愛しても、それら上辺の欠如を埋めるための相手しか目の前に現れないだろう。ほんとうの相手とは、光も闇も(美しさも醜さも)内包している自分という存在を愛し、慈しみ、許した時、もしくは、そうしたい、なりたい、と願った時に、出会ったり、出会う準備がはじまるのだと思う。さらには、出会ってから関係を深めていく日々がはじまると思う。
 
自分を愛することの偉大さ。
毎日その日一日を生きた自分にありがとうを送る。他人や、既存の考えなどガン無視して、ひたすら、自分がやったことを褒めまくる。やらなかったことを許す。それに慣れること。鏡に映った自分にニッコリ微笑みかける。孤独から目を背けない。
それを続けた先に、いま、自分が自分にしていることを、してあげたい相手が現れるだろう。愛は与えるものだ。与えたら、与えただけ、それに相応しい愛が返ってくる。だから、愛を求めるなかれ。自分から渡し続ける。それがわたしの想像するセカイの在り方。
 
 
本当のめぐり逢うべき相手を待たせ続けることのないよう、いますぐ始めてほしい。
 
魂の計画と男女のご縁とは源で繋がっているはずだから。
 
 

f:id:like_nanohana:20191129123950j:plain

 

2019.11.23   神戸