朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

記憶

昨日の記事は、熱くなってしまった。内容もまとまってないし、そんなつもりじゃなかったのに、、

まあ、これも大きな流れの一部なのだと思うことにする。(ホントのところはわからないけど)


今日はお稽古の日。来月のおさらい会(発表会)まで日がない。詰め込んで練習した。週に一度の稽古ではなかなか上達は難しい。いい時代になったもので、稽古中、動画を撮らせてもらい、家でひとつひとつの動作を確認し、覚えることができる。これも初心者だから。名取レベルまでいくと、稽古のあとに、必死でメモを取り覚えていると聞いた。そこまでいくのには、あとどれくらいかかるだろうか。日舞の基本の動作もまだまだ教わりきっていない。


小学生の頃、母親に無理矢理バレエを習わされていたことがある。わたしは活発な女子だったので、放課後は悪友と木登りなどして遊ぶのが好きだった。ヤマモモという、木苺みたいな食べられない赤い実を沢山採っては、潰して色水遊びに励んだり、今となっては珍しい屋内の釣り堀に通っては、男子と競って、大物を狙うなどの遊びに興じていた。

だから、バレエなどという如何にも女子然とした習いごとになど興味はなく、見学に行った際に垣間見た、女子特有の如何にもな世界感が気持ち悪く、やりたくなどなかったのだが、とにかく自分の気持ちを言葉で伝えることが一切できない子どもだったため、その気持ちが母親に理解されることはなく、そのままバレエ教室送りにされた。

案の定、そんな気持ちで始めたことで、教室の雰囲気には馴染めず、週に一度、地獄のような時間を過ごした。

先生も、いつも怖い顔をした人で、あ、今気づいたが、保育園のときの、ミツノ先生、小5.6のときの、大嫌いだったN先生、バレエ教室のM先生、みんな眼鏡をかけて痩せていて笑わない人たちだ。共通点発見。楽しさを味わわせてくれない人たちだった。


わたしは、芸術としてのバレエは決して嫌いではない。むしろ好き。芸術劇場に鑑賞には何度も行った。


つまり、バレエが嫌いだったのではなく、あの教室の雰囲気が嫌だったということになる。

あの頃、あそこにいた女子は隣の子と自分を比べ、相手を蹴落とそうとする習性があった気がする。そういう空気には敏感だったため、気持ちが悪かったのだと思う。しかも、タチが悪いことに、その空気は子どものみならず、親の間にも流れていて、さらに嫌な世界をみせられているようだった。そうか、あの気持ち悪さの始まりは親だったのかもしれない。自分の子可愛いあまりに、発表会の役などでも牽制し合っていたように思う。それが子どもにも伝染していたのかも。敏感で損した。そんなもの知らずに大人になりたかったのに。


なんで、子どもを私物化しようとしてしまっていることに気づかない大人が多かったのだろう。親というより大人。立木の横で見ているのが本来の親の役目だ。それができずに、親とは言わせたくない。子ども自らやりたいと言ったわけでもない習いごとをやらせるなんて、意味がわからない。しかも、外で元気よく遊んでいたというのに、捕まえられて檻に入れられたあの時の自分の怒りがいまやっと外に出てきた。そんなものとっくに消えたと思っていたのに、消えてなかったんだな。外に出してあげれてよかった。あの時のわたしが時を経てやっと解放された。ほっとした。


記憶とは恐ろしい。

苦しかったことほど、なかったことにしてしまう。あったのになかったことにされた記憶は消えずに、いまの自分の思考の元になってしまっていることがあるからだ。これについては安易に意見は言えない。言えないはずだが、、、言う。


わたしはこのブログ内で語ってきたように、どんなに相手が悪かったとしても、自分の人生を取り戻すためには一度全てを受け入れる勇気が必要だと思っている。絶対に許せないと思う相手に『ありがとう。』と言ってみることで、過去が変わる。その瞬間、癒えないと信じきっていた傷が消えてなくなるのだ。許しは愛だ。この愛は相手にあげるんじゃない。自分にあげるんだ。それを言う勇気を出す自分へ向けて『ありがとう』の言霊を。


心の安寧とは、為しがたい行為を為した時に訪れる。これは、実体験を通して言えることだ。


当てはまる何かがある人はぜひお試しください。



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peace🌹