朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

Nツーの人々

ここ最近、ひとつのテーマに偏り過ぎていたので、ここら辺で昔の面白かった職場の話をしたいと思う。


わたしは高校卒業後、大学にも専門学校にも全く行く気がなく(通った学校の進学率は90%は越えてたはず)バイト生活を続けていた。 ざっくりとだが、とりあえず20歳までは好きなことして、20歳を節目にちゃんとしたらいいや、くらいな軽い気持ちで生きていた。 

この辺りのことはうちの親は普通じゃなかったのか、私立高校に通わせたこともあったからか(お金がかかった)よくわからないが、進路についてアドバイスもなければ、期待されることもまるでなく、彼らは、人生に対して何のビジョンもないわたしの適当な態度を咎めることもなく好きにさせた。    

学校の先生までも、すこしは''真剣に考えろよ!''などの声掛けがあっても良かったと思わなくもないが、何故だか、誰ひとりとして、そういう熱い思いをぶつけてくれる人物はわたしの周りにはいなかった。あの頃はその事実にどこか不貞腐れた気分でいた気がするが、よくよく考えると、もしもあの時、親や先生がもっともらしいこと言って、無理矢理進路を彼らの世間体や学校体?(とは言わないか)を気にして薦めてこられたとしても、きっとわたしはYESとは言わなかった気がする。恐ろしく長くいた学校という不自由な世界から一刻も早く飛び出したい気持ちで本心はいっぱいだった。わたしは自分が思うよりずっと、自分を持っていたのかもしれない。


当時わたしは、海外旅行に行きたいこともあって、自分にメリットのありそうな都内の旅行会社の仕事の面接を受けたが、もれなく落とされた 。 

次点として、食べることが好きという理由で某海外チェーン展開をしているアメリカンレストランで働くことにした。

そこで出会った人に、フィリピン人のゲイ(J)がいて、見た目は小さいおばさんのような男の人だった。 Jはいつもダスターをピシッと折り畳めないわたしに小言を言い、さり気なく畳み直したりした。この人はEホバの証人という宗教に入っていて、休憩中には聖書を読んで過ごした。当時のわたしは中性的な人と相性がよく、物静かなJとは自然と仲良くできた。  

ある時、高校時代の友人にJの話をしたら『会ってみたい!』と言うので、渋谷の駅で待ち合わせをして、バイト先の九段下からJと一緒に移動して友人と会った。


その時のことは今でも忘れられない。


友人はJと対面して、挨拶こそしたが、笑いながら明らかに好奇の目でJを舐めまわすように見たのだ。 Jは渋谷は帰り道の途中駅だったので、そのまま帰って行ったが、わたしの心には拭いされない後悔が残った。


わたしは本当にJのことをひとりの人としてバイト仲間として、好きで仲良くしていたのに、友人が彼を好奇の対象として見た事実に「会わせなければよかった」と、Jに対して懺悔の気持ちでいっぱいだった。Jには後日友人の態度を謝り、それからその友人とは疎遠になった。

  

高校時代からその友人が、ことあるごとに『好きなことできるのなんて若いうちだけなんだから』と言うのを聞く度に「本当にそうかな?」と疑問に思っていた。 私は当時疑問に思った通りの生き方をしているから、面白いなぁ~と思う。  彼女はあの時言った通りの生き方をしているのだろうか?

正直どうでもいい。

そのアメリカンレストランでは、わたしはあまりに仕事ができなくて(当時からでした…)店長から『お前はこういうとこ合わないから俺の知り合いの花屋(日比谷花壇)紹介してやるからそっちに行ったら?』と割とガチで勧められたりした。  それを聞き、あははは~と力なく笑いながら、わたしは内心悲しくて口を噤んだ。


そんな矢先、なんと!あの落とされた旅行会社からやっぱりやってみない?と連絡が入ったのだ。 わたしは、花屋には行かず、旅行会社に飛びついたのだった。


それが、奇想天外、とんでもない個性集団~通称ビザ班~との出会いだった。


つづく(タイトル本編は次回!)



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