朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

秋分

秋分の日だ。


わたしがとても大切にしている春分の日と対になる大事な節目の日。

夏と冬が繋がっているように、

春と秋はいつだって繋がっているのだ。


特に今年は特別。

色んなものを捨てたことで、常に自分と一緒にいる感覚がはっきりとある。

もう、こうなったらシンプルに、ご褒美タイムということで、よしとしよう。

ここまで生きてきたんだもん。絶望の淵にみた僅かな希望の光を頼りに、真っ暗闇をひとりそれでも前へと進んだのは、紛れもない、この自分なのだから。


明治神宮にいる。

参拝し終えたタイミングで、結婚式の参列が通る。

杜の奥へ

原っぱに寝そべる。

半径何メートルかはわたしの庭だ。

台風の影響か、風が強い。鮮やかな青い空に流れゆく白い雲。蜻蛉の群れが頭上を飛び交っている。烏と鳥が鳴いている。

ここは本当に気持ちがよい。


さっきふと、読み聞かせのことを思い出していた。


息子が小学1年生の頃、何度か学校で絵本の読み聞かせをした。

選んだ本は『よるくま』

単純に自分が大好きだという理由で選んだため、かなり感情を込めてドラマティックに読み上げてしまった。

1年生のわりに、みんな集中して聞いてくれて、なんと、読み終えた直後に、誰からともなく拍手が生まれ、気づくとクラス全員が拍手をしてくれていたのだ。

拍手をする瞬間とは、何かを受け取り、なおかつ、ありがとうの気持ちが湧き上がった時と言える。あの時、わたしの好きが子どもたちに伝わり、同じ気持ちを共有できていたのかと思うと、すごくすごく嬉しくて、自分も子どもかと思うくらい、純粋に感動した。

「聞いてくれてありがとう。」と、わたしも子どもたちへ気持ちを伝えた。


その経験が繋がったのか、その頃始めた某コーヒーチェーン店での仕事のなかで、地域の人とコミニケーションをとる目的に、小さなこどもとお母さんを対象にした絵本の読み聞かせ会を月一で開催し、それに参加した。


わたしは、決して自分から仕事を進んで取りに行ったり、上を目指す気などサラサラなかったが、それだけは、自らやりたくて志願し、毎度メンバーに入れてもらった。読みたかったし、いい絵本(絵も物語も美しい本物)を子どもたちに見せたかったから。

それには自信があった。自分も絵本が好きだったし、悩みだらけだった息子の子育ての中にも、毎晩心を込めて美しい絵本の読み聞かせだけは欠かさずにやり続けたからだ。

20代前半の若いバイト仲間にも、わたしの絵本のチョイスは褒められ、お母さんたちにも喜んでもらえたので、やりがいがあった。


ここで、さらに思い出す。

嫌いの記事で書いた、あの大嫌いだった小学校5.6年生の頃の担任の先生から褒められたのも、そう言えば、絵本の朗読だったじゃないか。


久しぶりに、誰かのために、自分のために、今夜は大好きな絵本を読んでみようと思う。


みなさんも、秋の夜長に自分のために心を満たす時間をぜひお過ごしください。


見えない光のなかでつながりましょう。



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空を仰ぐ