朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

教会へ

昨日はやたらと熱い想いをここにぶつけてしまったなぁ…と、静かに内省。


昨夜は、久しぶりにいろいろな夢を見た。明け方、夢現の隙間に降ってきたメッセージは、''好きにやりなよ。もっともっと自由にさ''だった。

好きな人から言われているような気がした。


ふと、教会へ行きたくなる。

浮かんだのは、神田の東京復活大聖堂、通称ニコライ堂だ。一度行ったことはあるが、だいぶ前になる。

日中の3時間ほどしか内観できないため、支度をしてすぐに出かけた。入口で献金し、案内の紙と黄色い蝋燭をひとつ受け取る。既に火の灯る燭台に火を分けてもらった蝋燭を立てる。訪れた人がみな立てていくので、綺麗な灯りが教会全体を照らしている。

ベンチに腰掛け、建物内部の装飾に目を凝らす。美しいステンドグラスを通して、外から陽の光が内部に注いでいる。わたしは手を組み、祈りはじめた。

光のイメージだけを強く胸に祈る。バスツアーか何かで訪れていたグループのガイドさんの声がずっと聞こえている。時間にしてどれくらいかは計らなかったが、そのまましばらく黙した。ぱっと目を開けた時に、エネルギーと身体とが離れていたような感覚がした。

地球にグラウンディングするまでにしばらく時間を要した。とても、静かで落ち着く時を過ごせたようだった。


数枚写真を撮り、教会を後にする。


昨年のちょうど今頃、大好きな友人に、この近くにある彼女のおすすめのケーキ屋さんへ連れて行ってもらったことを思い出し、記憶を頼りに歩いて向かった。地図は見なかったが無事店先まで辿り着く。すると、なんと閉店時間前にしてsoldoutのため閉まったところだった。ショック。家に帰り、ケーキが食べれなかった分、ダージリンでいつもより甘めのミルクティーを作った。満足。


先ほどの教会の案内を見ていてあることに気づく。ニコライ堂と、函館のハリストス正教会は繋がりがあるということに。函館のハリストス正教会は、実は縁があり、過去に2度行ったことがある。高校の修学旅行で、M(過去記事参照)とふたりで教会で撮った記念写真がすぐに頭に浮かぶ。

あの時、マリア様がわたしたちを呼んだのかもしれない。Mもわたしもマリア様とは関わりが深い。わたしの愛する魂でつながる女性たちもみな、マリア様が心の内にいる人たちだ。それぞれが、それぞれの慈愛の精神の元生きている。


そのことが確認できて嬉しい。


大丈夫。

わたしたちは守られている。

神の偉大な愛に。


このブログを始めてすぐの頃に書いた'続幼少期'の記事と繋がっている。不思議だ。ずっと守られていたのだ。気づかなかった時も本当はずっと。



ひとり、

道なき道を行く日々に

いつでも君がいた。




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ニコライ堂⛪️