朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

恐れ

昨日、ソウルワークについてここで語ったが、すぐに、自分のソウルワークはこれだ!とはっきりと答えが出た。降って湧いたようなことではなく、最初からそれしかなかったというようなことだ。ただ自分が認めたということ。


そうなると、湧いてくるのが恐れといった感情だ。それをやることはもはや決まっている。どんなに苦しくても逃げられない。急にすべてが無理なんじゃないか、と逃げ出したい気持ちが湧き上がる。この感情を冷静に観察する。すると、気づく。この恐れや逃げ出したい衝動は、いまのわたしのものではないことに。これは、延々と続いてきた負の集合無意識の一部であるのだ。自分の意思で生きることが許されなかった時代の、悲しみの負債なのだ。

どうしても叶わなかった願いを叶えるために与えてもらった命なのだから、誰でもにそれを叶える使命があると思う。

そう、夢は叶えたいのではなく、叶えなくてはならないのだ。(だいぶ過去記事で言ってることと変わってます。自分も時代も変化しているのであしからず。。)


わたしは来週、神さまから呼ばれている場所へひとり向かう。長旅だ。それも行きたくて行くというより、行かないという選択肢がないと言った方が的確。もしかしたら、そのまま帰れなくなるのではないか、というくらい、恐怖心がある。神さまに与えてもらった命である以上、もっていかれてしまうことがあろうと、もはや、文句など言えまい。それでも、一縷の望みを胸に向かうべき場所へ向かう覚悟はできている。一縷の望みとは、全ての闇が光と共に明るいあの場所を生きる自分へと繋がっていると信じる気持ちだ。

たしかに知っているしあわせな未来の記憶から、いまの自分へと渡されているバトンを掴んでしまった以上、走らざるを得ない。集合無意識などに足を引っ張られている場合ではないのだ。

ここまで書いて思い出した。そう、靖国神社で引いたおみくじのあの教え。(過去記事'夜のピクニック'に記載)


一燈を提げて暗夜を行く

暗夜を憂ふる勿れ

ただ一燈を頼め


江戸時代の儒学者、佐藤一齋の言葉だ。

この言葉で心に灯りを点して暗夜を行こう。


ここまで生きてこれたことに、今はただ、感謝したい。わたしの命を紡いでくれた全ての生命にありがとうを伝えよう。


しばらくこんなこと言う日が続くかと思うが、秋の夜長にお付き合い願いたい。



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癒しのコロボックル👼