朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

節目

今日は記念すべき200記事目の投稿になる。

おめでとう!ワタシ。

 

よくこんなに根気のない人間が200記事も書けたものですね。大したもんだ。

 

だけど、これも偏に、読んでくださった人がいたから成せたことだと思う。自分で日記帳に書いていただけだったら、継続する張合いがなかっただろう。

そう。

わたしにとって、張合いって超大事。魂の冒険記というものに、心のどこかがちょっとでも引っかかった人が見てくれていたのだとしたら、本当に嬉しい。

さらに言えば、わたしの記事を見て、自分の魂の冒険に興味を抱いてくれていたとしたら、本当に本当にそれ以上の嬉しさは無い。

 

正直、わたし自身、半年前からいまも大きな一歩を踏み出せていない現状だが、遂に明後日から人生道場の仕事が本格的に始動するにあたり、それに伴い、生命が巡り出す予感がしている。

 

『……流石に冬眠長すぎたよ。』

娘にさらっと言われたひとことが重い。

その通りだからだ。

 

それでも、この半年は最高の時間を過ごせたと、胸を張って言いきれる。

あの神社仏閣に通い詰めた怒涛の夏の意味が、ようやく今になってわかり始めた。

あのとき神さまから頂いたインスピレーションを生かして、ソウルワークを始めようと思えばすぐに始められたはずなのだ。天界からのメッセージは、今後不器用な自分が一歩ずつ前へと進んだ先に、再び命を吹き込むだろう。星々の自然な流れと共に流れていきたい。

 

わたしはこのブログを始める前に、プレ朱里日記と題して音声日記をやっていた。

これはただボイスレコーダーにその時の気持ちをひとりごとのように吹き込んで録音するだけのものだったが、それを今も時折聞き返すことがある。

不安な時や心細い時などに、その想いをひとりごととして外に出していたことで、あとから聞き返した時に、『……ああ、あの時のあの気持ちって、ほんとその瞬間だけのものなんだな。』ってことがよく分かる。

外に出せば早く消えていく。自分のことが少しわかる。文章を書いて読み返すことよりも、自分の声を自分で聴くことは、普段あまりやらない行為だと思うので、ちょっと新鮮で面白さもあり、おすすめしたい。

 

わたしはずっと自分の声が好きになれず、でも、好きになりたかった。

どうしたら好きになれるか考えた結果、音声日記や、音読日記や、童謡の録音などをやり、いまはだいぶ自分の声に慣れたし好きになってきている。

不思議なことに、寝る時に自分の音声を聞いていると、すぐに寝れる。安心感がある。わたしはいま、自分のことが好きだと言いきれる。好きな人の声だから落ち着くのかもしれない。

 

おかしなことを言っているだろうか?

いや、大事なことを話している。

 

自分を好きになることのひとつに、自分の声に慣れるというのがある気がする。

自分と仲良くなることで、安心感が増す。外側に求めずに、内側と向き合える。最初慣れるまでは、恥ずかしかったり、落ち着かなかったり、変な感じかもしれないが、徐々に普通に10分くらい喋り続けられるようになるので、聞き返して、自分の気持ちを受け止めてあげて欲しい。

 

そこからも、プレ魂の冒険が始まる。

 

願わくば、あなたの冒険を始めてほしい。

 

 

 

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春待つ蕾