朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

午後から人生道場へ。


早速宿題を出される。


武道は礼にはじまり礼におわる。

礼が無いと無礼に。

礼を失くすと失礼に。


なるほど、と、膝を打つ。


座学は嫌いだ。

…が、しかし、今回からはそんな戯言は許されぬ。一字一句漏らさず暗記する勢いで自分を追い込みたい。腹がすわると自ずとやるべき事がはっきりしてくる。迷いは生じない。それが本当に清々しい。


Aさんから逃げた過去を回顧していた。

あの時の自分の甘さ、あの時の自分の弱さ、あの時の逃げ腰の姿勢、あの時の言い訳、あの時のいい加減な返事。

どれをとっても、なっていなかった。

折角わたしのために宇宙が置いてくれた課題、そして、出会った素晴らしい人たちから逃げ続けた結果が今だ。


情けないが事実。すべて自分の責任として受け入れる。


そして、何度失敗しようとも、このように新たな課題、素晴らしい出会いを用意してくれる宇宙と神さまに感謝せずにはいられない。


ありがとうございます。

今度こそは、成し遂げてみせます!


新たな師になるKさんは、この道一筋20年の本物のなかの本物だ。不思議なことに、Aさんと雰囲気が似ている。そして趣味も同じだ。大変真面目な人である。いい加減なことをしようものなら、直ちに刀で斬られるであろう。…恐い。まだ死ねない。


毎日が一期一会だ。


わたしは大丈夫だろうか。

不思議と心配や不安は一切ない。


なぜなら、わたしの魂の冒険のメインイベントはこの道の先(また別のパラレル)にあるからだ。メインイベントがはじまったら、それこそ大変だ。どんな逆境にも耐えられる忍耐力を育てると同時に、しなやかさや、たおやかさも身につけなければ、到底やっていけないからだ。覚悟の先まで覚悟する。言霊で、どんどん自分を追い込んでいきたい。


なんてことを言ったあとだが、結局、自分軸ができ、やると決めて、目の前のことをやり続けたら、着くべき場所へ自動的に運ばれるのだと思う。それがいつになるかは、自分では決められないが、目標をいつまでに達成するかは自分で決められる。自分の力でできることと、宇宙に委ねることとを混同しないようにしたい。


道場を後にし、教会のクリスマスのミサへ行く。イエス様は私たちの罪のために十字架に架けられたという話が、子どもの頃には理解ができなかった。自分がどれほど罪深い存在かを大人になりわかり始めた上で、イエス様の話を聞くと、非常に深いところに染み渡る。


キャンドルに火を灯し、賛美歌を歌い、クリスマスおめでとう!と、隣人たちと祝い、懺悔した。心は清められただろうか。


わたしの為すべきことを粛々と行っていきたい。


明後日は皆既日食山羊座新月

そして、道場初出勤。



明るい2020へとつづく。




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Merry Xmas🌲