朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

贈り物

昨日の記事をお読みいただけただろうか。


いや、昨日だけでなく、できれば12/12くらいから、いや、さらに言えば、12月の記事全部お読みいただいてから、今日のを読んで欲しい。(すでに読んでくれている方、ありがとうございます。)


何故なら、毎日が数珠繋ぎで繋がっている日々だったからだ。まだ今も途中。どこまで行くか固唾を飲んで向き合い続けたいと思っている。


昨日わたしは、自ら今世はAさんのような人に相応しい自分になりたい!と、ここに記している。

Aさんは何もかもがわたしの理想の男性で、生涯、尊敬してやまない唯一の人だ。

その理想の男性に相応しい自分になると宣言したのだ。つまり、理想の女性像を目指すと。


すると、宇宙からすぐに課題を降ろされた。これ以上ないくらいピッタリの課題だ。その課題の先生はAさんに勝るとも劣らぬ素晴らしい人物だ。ずっと頭の片隅に居続けていた本物。

Aさんから逃げた過去がある。

だから、それに挑むことはめちゃくちゃ怖いことで、『やだやだ!もうそれはやりたくない!無理だよ。やめときな!』と、エゴが大騒ぎしているのを横目に、恐れ知らずの魂は、勇猛果敢にもすぐさま立ち上がり行動を起こしていた。行動後に、『…まずい、大変なことになる。』と、我に返ったが、時すでに遅し。


明日結論が出る。


本気で望むことの怖さをいま実感している。

たぶん今までは本気じゃなかった。この程度でいいや、と、どこかぬるま湯に浸かっていたのだと思う。けれど、避けようとも、こうして引き戻されることを思うと、これを避けてる以上、わたしの望む未来はない。

きっと、わたしの魂が本当にやりたいことなのだ。

これを自分が納得するまでやり切ったら、自信が持てるような気がする。

自分に価値がない、なんてことはないし、そのままでみんな完璧だ。

けれど、自分がそう思えていない。このままでいいと全然思えていない。だから、そう思えるようになるまで行動する。

多分、行き着く先は、そのままの自分を愛し、許し、受け入れる境地なのだと思う。

もっと近道はあるのかも知れない。もっと要領のいいやり方もあるのかも知れない。けれど、わたしには泥くさいやり方が性に合ってるんだと思う。体当たりで挑むような。。


このブログもそうだった。

始めたのは今年の夏至の日だが、やりたいと思ったのは、その約一年前だった。素晴らしい環境を与えられたのに、怖さと向き合えずにあの時も自分から逃げ出した。けれど、今年は勇気を出して始めた。そして、ブログは続いている。きっと、やりたいことだったからだ。いつの間にか、ひとつだけ成功体験を手にしていた。


本当にやりたいことは怖いことだという情報は耳にしていたが、やはり自分のこととなって初めて『こういうことなのか…』と理解できる。


だとしたら、わたしはまだまだ怖くてできていないやりたいことが細かくいっぱいある。どうやらわたしの魂は欲張りなようだ。これで最後と決めているからだろうか。やり切りたいという情熱を抱えている気がする。この声をもう無視できない。


わたしがこの魂の日記を書き続ける理由は、

読んでくれる人たちと一緒に、自分だけの冒険を生きる過程で味わうさまざまな感情を共有しながら、それぞれの冒険へと誘いたいという気持ちがあるからだ。


魂の計画。すぐには気づけないその計画に、少しずつ気づいていくこと。外側から教わるのではなく、あくまでも自分の体験を通じて理解を深めていきたい。

ゆくゆくは、わたしはこの分野の生き字引になりたいのだ。


わたしには、高次の存在と繋がるなどの高度な技術はない。だから、高次からのメッセージをあなたへ伝えることもできない。占星術も深く詳しくはない。

けれど、自分の人生そのものに真剣に挑んでいる。それだけは胸を張って言える。

いつも、エゴやマインドに翻弄されてしまう人間らしい自分がわたしは好きだ。この生き方が楽しいと感じている。そんな何者でもないわたしだからこその存在意義はかならずあると信じている。あくまでも、ここでは対等な関係であなたと関わり続けたい。


2020年の自分がどこまで行けるか、自分に期待するしかない。


やる!

やるのだ!


追記〔備忘録〕

今日、苦手な瞑想に取り組む中見えた映像は、大好きな人と一緒に馬に乗って大草原を走り抜けているというものだった。その二人から届いたメッセージは、戦え!だった。



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