朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

持ちのいい風に吹かれる。

それだけで、瞬時にしあわせだ。


ああ、もう、本当に本当に、やりたくないことはできない。やりたくないことをやる時間はあるけれど、やりたくないことにつかいたい時間はない。


仕事はなんでもいいと考えていた。

けれど、なんでもできないことがわかったいま、思考の方向転換を余儀なくされている。


ブロックを解除しても、解除しても、やはり浮かび上がってくるブロックの壁。

人間としてこの地球に生きてる以上、仕方のないことなんだと受け入れてしまえば、まあ、オールOK!気楽に行こうぜ、ベイビー!って感じ。

こんなことが出てくるってことは、今日のわたしの心はどうやら明るいようだ。


けれど、いまがどんなに不安もなく晴れ晴れと明るい心であろうと、安心などできない。明日のわたしの心が明るい保証などどこにもないからだ。一進一退の繰り返し。一歩進んで二歩下がることも日常茶飯事。


それでも、本当に好きなことにはけっこうな熱量で向き合ってきた。わたしにとってのそれは、人との関係だ。いちばん興味深いし、取り組み甲斐がある。なぜなら、相手は冷たい機械ではなく、血の通う生物だからだ。

自分がいい加減な気持ちで相手に対峙すれば、いい加減なものが返ってくる。自分が真剣であれば、それ相応の反応が返ってくる。


ちょっと関係ないけど、エピソードをひとつ。


今日行ったラーメン屋でのこと。

その店は、おじさんがワンオペで店内を切り盛りしていて、閉店間際にお客さんが交互に数組出入りしていた。(2名→1名→2名→1名→1名)

お客さんはみんな、おじさんが大変そうなのを理解し、多少時間がかかっても嫌な顔ひとつせず、礼儀正しかった。

帰る時に、おじさんには聞こえないことがわかっていても『ご馳走さまでした!』と帰る人や、大盛りを頼んだらおじさんが余計大変になるとの見通しから、遠慮と思いやりのオーダーをしてる人や(結局常連だったのか、おじさんの方が気遣いから大盛りを出して喜ばれていた)なんか、いい店員さんのお店にはいいお客さんが集まるんだなぁ~と、わたし的感動ポイントの高い出来事だった。

わたしは帰る際、厨房を覗き込んで、おじさんに、トッピングの鶏チャーシューを1枚残してしまったことを詫びたら、『いえいえ。わざわざありがとうございます。またどうぞ。』と、とても優しい笑顔で言っていただいた。

ここで食べてよかった!と凄く思った。


誰でもいいわけじゃないのだ。あなたがいいのだ。そう思いたいし、思われたい。


それには、どこまでもこの自分でいくことが大事であろう。

少なくとも今日の明るい自分は好きだから、このままダメダメなところも持ちつつ、ほのぼのと行こう。


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いい風が吹く