朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

晴れやか

真冬で雨の降り頻る今日の東京。


けれど、わたしの心は晴れやかだ。

特段いいことがあった訳でも何でもないが、道場での仕事や、久しぶりに服を買ったことや、おやつにポテチを食べたことや、明るい未来に想いを馳せる時間などが、当たり前ではなく、有難いことだと思える心が今のわたしにはあるからだ。


礼儀がなってないことを叱られたばかりだが、人生道場では、正に礼節を学んでいる最中だ。師匠は元々合気道の先生で、武道のスペシャリストでもある。

昨日、最終試験の際、『ここで学ぶことは全て基本だ。ここで基本を学んだら、今後どこに行っても、それを活かし、応用へと発展させることができる。己自身のために研鑽を積んで欲しい。』とのお言葉を頂戴した。

わたし自身そのつもりで門を叩いたので、ひとつひとつの仕事が自分の血肉となるよう、毎日が真剣勝負である。


わたしもこれまで、それなりに色々な経験を積んできた。

サービス精神の一貫で、自分の価値を低く設定することで、わざといじられキャラに徹し、仕事場の空気を和ませようと振舞ったりしたこともある。

結果、そういうものを感じ取れない精神的に未熟な人間を図に乗らせ、殺し合い寸前の喧嘩にまで発展したことも一度だがあった。

不思議なことに、後腐れは全く無く、喧嘩の30分後には当時働いていた店のカウンターに並んで仲良くフライドポテトを食べたりなんかした。

結局、未熟だったのは、わたしも同じだったのだ。あの頃わたしはまだ、当たり前に他人重視で自分を蔑ろにし、無意識に自分を痛めつけて生きていた。その自分の怒りを吐き出させる役割を彼はしてくれたのだ。

だから今はこの喧嘩相手にはめちゃくちゃ感謝している。恐らくあそこまで他人に感情剥き出しで怒りをぶつける経験は、後にも先にもあれ一度きりだと思うから。


久しぶりにソウルメイトに話を繋げよう。


この喧嘩相手とは、実は前世の記憶がある。

(もちろん、そんな気がするという話)


彼はいつかの前世で、わたしの師だった人だ。時は江戸時代。剣道の師範である彼は、寺子屋の先生もしていた。

いつも袴姿で腕組みをして庭を眺めていた。わたしは彼に仄かな恋心を寄せていて、正座して勉強している振りをしながら、庭を眺める先生を眺めていたというストーリー。

わたしはこの記憶なのかなんなのか、降って湧いたイメージを、かつて、作家の田口ランディさんのクリエイティブライティング講座という、即興で文章を生み出す講座に参加し、書いたこともある。

この講座に参加したい!と思ったとほぼ同時に、このイメージが湧き、これを書こう!と決めて講座に繰り出したら、驚くことにランディさんが開口一番『みなさん、今日ここに来た人は全員書くことを決めてきています!』と言い切ったのだ。

わたしは、『ヤバい!見透かされてる。』としっかりビビった。ビビったが、面白かった。なんだこれ?魂の声を聞いたからか?と思ったりした。この時のことはいい思い出に残っている。


今日は道場が一時的にバタつく時間があった。そういう時は、みんなで集中して乗り切るため、笑顔を出す余裕が無くなる。

張りつめた空気を解きたく、レンチンしたカレーの器が超激熱になっているところを、Kさんに触らせたりしてちょっとふざけた。Kさんが『熱っ!!』という。Y先輩が笑う。わたしも『トラップです!!』と言って笑った。一気に場が和む。こういう瞬間がたまらなく好きだ。研修の身でありながら、キャラ立ちさせようとしている。

わたしはもうあの頃とは違う。

自分の意思で自分を大事にできるのだ。

ふざけて笑わせるのは自分が楽しいからで、みんなで笑いたいからで、チームワークを盛り上げたいからだ。魂オタクも早々公言した。『あぁ、オカルト系ね。』と笑われる。

魂などに全く興味ない人たちなところがいい。わたしとは趣味嗜好がまるで違うが、それでも、毎日コツコツと真面目にやるべき事と向き合い生きている人たちとは気持ち良く共存できる。人として尊敬できることが大きい。


わたしは今、どちらもあるから楽しいんだと思っている。身体がある以上、母なる大地にグラウンディングせねばならず、それには、武道だとか、芸道だとか、書道だとか、華道だとか、剣道だとか、やはり、あらゆる道とつくものの中に身を置き、精神を鍛えることが、雨にも風にも人にも負けぬ、どっしりとした心を築き上げていくのだと思う。


わたしはもう、いい加減女を生きたいんだけどな。

なんか違う方いってないだろうか笑


とりあえず、心が明るいのはいいことである。



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ハートポテチ発見♡