朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

春の雪

…という曲がある。


andymori小山田壮平くんが、夜な夜な酔っ払って気まぐれにやるツイキャスのなかで歌っていて知った。


『~もいちど会えると思っていたから、さよならを言ったの、わたし。』


降りしきる春の雪を眺めていたら、この歌詞が頭を流れた。


春は別れの季節だ。


……壮平くんのお姉さんは、25.6歳の頃、恋人と南米を旅行中に乗っていた車が横転し、突然亡くなった。文才のある人で、死後、彼女のブログは書籍化され、その本は、わたしの手元にいまも大事にある。本の最後に、何かの賞を貰ったという詩が掲載されており、その詩が私もとても好きだった。

先日のツイキャスの最後に、壮平くんはその詩を朗読した。そして、読み終えると何も言わずにそのままツイキャスも終えた。


昨日のわたしは明るく、外出自粛期間に生き方を変えよう的なことを思ったが、今日のわたしはまた違うことを思っている。


もしもコロナで死ぬのなら、今日という日を思い残すことなく生ききることしかあるまい。いや、思い残すことなく生ききるなんてこと自体、無理なのかもしれない。それでもやはり、なんとなく死んでしまうのは、ここまで生きてきて、叶っていない夢もまだまだいっぱいあるのに、あまりに惜しい気持ちにもなる。だとしたら、正解はなにか?そう考えた時に、きっと、ひとりひとりの正解って違うんだよなぁ〜と、思いを巡らす。もう余命はわずか。そうなってくると、ほかの人のそれではなく、自分の答えが知りたい。自分が生まれてきた理由。この時代に、この惑星に、この国に、この身体に、この環境に、これまでの人生を振り返り、命を確認したい。


叶えたい夢がある。


それこそがまだ生きていきたい理由だ。まだ叶っていない夢があるからこそ、これまでの自分を越えようと、変化を受け入れ、切なさを乗り越え、恐れに挑み、前を向いて歩みを進められる。闇雲に一歩を踏み出すのではなく、ほんの微かな光を頼りに、自分が目指す場所へと、たしかな一歩を踏み出す。わかっていても、一歩も出せない日もある。 それが最期の日になってしまうとしても、それでも、自分がなぜ今生きているのか、その生への確かな実感が掴めているのならば、もう迷うことは無い。その時は、潔く散るのみだ。


雪のせいだろうか、ものすごく静かだ。


閉ざされた部屋にひとり。

終活の一日を過ごす。



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雪と桜