朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

晩夏

昨日、今日と、朝晩めっきり涼しくなってきた。いよいよ今年の夏も過ぎ去ろうとしている。


長すぎる梅雨をコインランドリーに通いながら過ごしたなんでもない日々が、妙に思い出深い。

洗濯物がふかふかに仕上がった時の気持ち良さは、思い出すだけでなんとも言えず気持ちが良い。

短い夏の太陽と空は、あっという間に秋の気配を感じさせ始めている。


わたしは生まれた月が秋なので、ずっと秋はいちばん好きな季節なのだが、5年ほど前から、何故か夏はわたしの特別な季節となった。夏の中に、過去にも未来にも大切なずっと変わらず瑞々しく光る思い出がいっぱい浮かんでいることに気づいたのだと思う。わたしにとっての夏を的確に現すとしたら、特別、という表現がいちばんそれに近い気がする。春も秋も冬もそれぞれの季節に好きなところはあるけれど、夏だけは特別だ。

真っ白な入道雲、縁側の西瓜や団扇、夏祭りの赤い提灯や夜道、いつの日かとなりにいた誰かと過ごした記憶が、灼熱の太陽と草いきれの匂いに毎年思い出される。夏だけが内包しているノスタルジックな気分が好きなのかもしれない。


導かれるままに、神社に通いまくった7月を越え、ひたすらに頑張らない努力を続けた8月も間もなく終わろうとしている。今年の夏は現実的にも生き方を大きくシフトしたまさに特別な季節となった。自分と共にいまを過ごしながら、ひとつひとつゆっくりと本音を感じながらここまできた。


唐突だが、ライオンキングの台詞で父であるムファサが息子のシンバに言った


''シンバよ、忘れるな、自分が何者であるかを''


この言葉が胸で木霊している。


これは偉大な王様から、本来の自分を生きれていない全ての人間へと向けた隠されたメッセージだな、などと思う。


現実を生きながら数々の呪いをかけられ、みな、いつの間にか本来の自分というものを忘れてしまった。けれど、もともと魂が宿る本来の自分という姿は初めからあり、その自分を思い出すだけでいいのだと、気づかせてくれる、とても大きなメッセージだと思う。傷ついた記憶により封印してしまった本来の自分を解放し、何者であるかを思い出した自分をそれぞれが活かして生きていけたらいいなぁ~。


わたしはすっかり本来の自分と見えないものとの信頼関係が深まったので、もはや幸せな想像しかできない状態だが、今日思ったことは、仮に幸せな夢が叶うことが決まっているのなら、それが叶ったときに思うのは、いちばん苦しかったどん底の時こそ、かけがえのないこの世に生きた証になるのだろうな、ということ。もうあの苦しみには戻れないという郷愁にも似た想いが想像できてしまうのだ。

だから、どんないまも大事だ。再び戻ることのできない今を生きていることを忘れないように、善も悪も等しい価値にあることを時々しっかり確認しながら、冒険を続けていこうと思う。


自分だけの冒険を思い出すんだ!


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天空のエナジー💫