朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

デトックス

新月が近いせいか、ここ連日、眠くて眠くて仕方がない。眠いだけならまだしも、いつにも増して頭痛がひどい。わたしは、基本健康には自信があり、胃腸などはたいそう丈夫なのだが、頭痛には昔から悩まされてきた。

薬は飲みたくないので、頭痛に効く周波数の音を聞いたり、ツボを押したり、いろいろと試みるが、なかなか改善しない。痛みにより気が晴れない。苦し紛れに外に出る。近くの大きな公園へ向かう。緑の多い公園へ来ると、幾分ましな気がする。公園内をのんびり歩き回った。季節柄、いちょうの黄が眩しい。空も高く、雲は天使の羽のよう。
散歩中の犬とおばさんの後ろ姿を写真に撮る。走り回るこどもの写真もパシャリ。公園の花壇の端に、朝顔の乾燥した種袋を見つける。両手で崩す。中から黒黒としたあの独特な形の見慣れた種が3つ出てきた。ポケットにしまう。種蒔の時期になったら撒いてみようと思う。

それでもやはり落ち着かない。結局家へ帰りまた眠る。夢を見た。覚えていられない。昨晩見た夢は人形浄瑠璃の夢だった。昔見た、北野武の〝Dolls〟を思い出す。真っ赤な紅葉のポスター写真が印象的な映画だが、北野武の映画は青を基調とした色彩で構成されてる作品が多く、その気品ある青はキタノブルーと呼ばれている。Dollsはあの突き抜けるような赤の奥に、やはり青がくっきりと浮かび上がってくる。なぜかはわからない。わたしは静かなものに心を寄せる。静かなセカイに連れていってくれる作品が好きなのだ。それはちょうど、パウル・クレーの絵画にも共通する静けさだ。静けさの色が青なのかもしれない。

わたしは、彼の映画がとても好きで、中でも、〝あの夏いちばん静かな海〟と〝キッズリターン〟には思い入れが強い。思春期にみた作品からかもしれないが、ほんとうに好き。言葉では説明できない。あんなに静かなのに、そこかしこに狂気が見え隠れしている。人間は醜く美しい。美しくも醜いことを教えられたような気がしている。(当時の感想。いま見たら違うかも。)

頭痛はだいぶんよくなった。
痛みが消えると気持ちは明るくなる。上記のようなことを思うのは、苦しい時だ。明るい時はそんなこと忘れてる。忘れているが、確かにある。だからこそ、ただ楽しく笑えたらそれでいい。

今日もいちにちを生きた。

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散歩


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羽雲