朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

夕涼み

夏の夕涼みは気持ちがいい。


特に今日は、一日をとおしてここ数日のうだるような暑さから少し解放され、風がよく吹く日だったから尚更だ。


自分の足で歩こう 


それだけ決めて家を出た。行先はわからない。とりあえず大きな公園の方向へ向かって歩き出した。公園は道路を挟み、左右に大きく広がっており、いつもは広場のある方の敷地をぐるりと一周散歩するのが常だが、今日は、反対側に位置する野球場の横を歩いた。ナイターで大人が野球をやっており、ウォーミングアップなのか、ひとりずつ順番にダッシュをしていた。かなり真剣。しかも、けっこう早い。一生懸命走る人の表情はかっこよかった。木の影に隠れ、こっそり写真を撮る。


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走る人🏃‍♂️



野球場を通り過ぎ、大きな交差点に突き当たる。ここで真っ直ぐ行くか、右に曲がるか、左に曲がるか、自分の心の声を聞き、しばらく悩み、真っ直ぐに進んだ。

すると、すぐ近くのバス停が目に留まる。

行先は''晴海埠頭''となっている。


晴海埠頭…夏の夕涼みにもってこいではないか。自分の直感に感謝し、バスを待つことに。終点の晴海埠頭まで50分ほどバスに揺られて辿り着く。時刻は19時56分。ターミナルに入ったら、館内を流れる蛍の光と共に、係のおじさんに『20時までです。もう終わります。』と言われてしまう。

悲しいが、外から海を眺めることに。

目の前には、ライトアップされた東京の夜景が広がっていた。

レインボーブリッジ、お台場、東京タワー、海を行き交う小さな船までもキラキラとカラフルなライトが灯されていた。

なかなかの、眺めだ。


小沢健二の''いちょう並木のセレナーデ''を思い出す。昔大好きだったあの曲。


〝……晴海埠頭を船が出ていくと、君はずっと眺めていたよ。そして、過ぎていく日々を踏みしめて僕らはゆく〟


歌詞の一部だ。


この歌詞はオザケンの実体験によるものなのだろうか?なんて、切なくて甘くて色褪せない世界であろう。この歌を思い出す度、一瞬で、この時代にタイムスリップできてしまう気がする。そういうものを後世に遺している小沢健二という人をわたしは尊敬している。


今日は、午前中から夕方までずっと、またも頭痛に悩まされ、健康の有難みを噛み締めた。身体が不調だと、明るい気持ちになれない。どうしても暗い方へ、暗い方へと思考が偏っていた。だが、気がつけば晴海埠頭にいる。東京湾を臨み、夜風に吹かれ、気分も変わった。何度も深呼吸をする。海風が体に染み渡る。誰かとこの気持ちを分かち合いたい。そんなことを思ったりした。


ひとしきり、気持ちのいい夜を過ごし、大人しく帰りの途に着いた。


また、明日は明日の風が吹くのだろう。


なるべく、自分の直感を信じ、流れに身を任せ、行けるところまでは行きたいと思う。



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夜景