朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

教訓

急に思い立ち、教会へ行く。


前々から行ってみたかった、広尾にある二十一世紀キリスト教会だ。


礼拝で神様のお話を聞きたかった訳ではなく、こちらの教会の設計者が安藤忠雄さんだったからだ。わたしは安藤忠雄さんの建築物が好きで、2017年に国立新美術館で開催された安藤忠雄展では、彼の代表する光の教会(十字架を物ではなく光で表すという発明は、教会建築の概念を変えた。※光の教会解説より)が、美術館屋外に再現され、自由に中に出入りすることもでき、感動体験だった。


教会HPには、毎週日曜日の朝、ヒーリングルームという部屋で、超自然的な癒しを信じて祈る時間を設けているとあり、わたしはそこで静かに訪れた人たちが、各々お祈りの時間を過ごすものと思い、''それはとても良い時間になりそうだ''と、建物見たさプラス要素ができたため、さっそく教会へ行ってみることにした。


ところが、ヒーリングルームへ実際行ってみると、身体の痛みなどで悩んでいる人が全国から集まり、当事者へ直接クリスチャンの方々が、ヒアリングなどをしてから、祈りを捧げるような儀式めいたことを行う流れとなっており、部屋に入った瞬間 

「…あれ?なんか違うかも。」

と、すぐに重めの空気を感じたものの、後に引くに引けない感じになってしまった。

わたしには女性2人が付き、本日悩まれていることについてのアンケート用紙が与えられた。痛みの度合いも10段階と細かく記されており、ご丁寧に、にっこりマーク😊(痛み無し)から苦しみマーク😱(激痛)の顔文字風の絵までついている。

「…まずい。いまのわたしには、特に悩みも痛みも無い。けれど、両隣の方々が見守る中、何も書かない訳にはいかない。どうしよう。とりあえず、とりあえずなんか書かないとーーー!!」

ということで、極力嘘はつきたくなかったため、''本来の自分を生きていくための導き''という、あまりにも抽象的な記述をしてしまったため、内容についてかなり突っ込まれてしまう。焦ったわたしは、お付きの2人が納得してくれるよう、離婚をしたことで傷ついており、それを癒して前に進みたい。と、かなり大幅な方向転換をして、やっと納得していただいた。そして、両隣の方々がそれぞれわたしの肩に手を乗せ、お祈りの言葉を神様に捧げていただいた。

その後、礼拝にも誘われたが、わたしは早々に教会を後にした。建築物としての教会をじっくり観察する間もなく(というか、できなかった)帰ってしまったので、やや心残りだが、仕方あるまい。


近くにあった公園で、ブランコに乗りながら、旅行会社で気ままに働いてた19歳の頃、姉と行ったパリの教会を思い出していた。美しい教会で、ひとり静かに祈る女性の写真を撮った。教会へは自由に出入りでき、みな、自分と神様との関係で完結していた。


それでいいではないか? 


今日の教会では、礼拝に参加する人は名簿に名前を書かされたり(初めての人・2回目以上の人など分かれている)ほかに通ってる教会はありますか?と聞かれたり、礼拝の合間は礼拝堂の扉をきっちり締め切ったり、なぜ?と思うことが多々あった。決まり事が多すぎる。クリスチャンが主体の場だから、そういうものなんだろうか?


もう、場を求めるのはやめよう。

どこでも神様に祈ることは自由にできる。

わたしは、わたしの心のなかで、神様や自然に祈りを捧げよう。心を整えることが目的なのだから。


しかし、今日の昼間の東京の暑さは尋常じゃなかった。数十メートル歩いただけで、息苦しい状態。いちいち、クーラーの効いた建物に入るだけで、ありがとうございます!と言いたくなる有り難さ。


そうそう、広尾から麻布十番へ移動する際、都バスに乗った。そのバスの運転手さんが素晴らしく感じのいい方だった。乗車時の『どうぞ。』という声掛けや、車内アナウンスの『発車しますのでおつかまり下さい。』など、優しい声のトーンが心を落ち着かせてくれるような、微笑みが浮かぶような、そんな明らかな心掛けが伝わってくる、仕事ぶりだった。こんなふうに、なんでもないところに、すごい人は存在しているんだな〜などと感心して下車した。


わたしは、あまりの暑さで思考が停止気味だったようで、麻布十番で降りた理由も曖昧で、行き当たりばったりすぎたため、15分ほどふらふらした後、思い直して、先ほど乗ったバスは渋谷~新橋行で、新橋までの途中駅であった麻布十番から、今度は反対に、渋谷まで行こうと、新橋~渋谷行をバス停で待つことにした。かなりの迷走ぶりだ。

ほどなくしてバスが来て乗車すると、なんと!先ほどのあの感じのいい運転手さんではないか!あのバスが新橋に着いてすぐに折り返し運転をしたのなら、時間的にもちょうどといった具合だった。

わたしは、面白いなぁ~と思いながら、車窓から流れゆく町の景色を見ながら、運転手さんの動向にも注意を向けていた。やはり、大変に感じがいい。終点の渋谷に着いた時、運転手さんは運転席から車内に移動し、帽子を脱ぎながら頭を下げ『ご乗車ありがとうございました!』と爽やかな笑顔で仰った。


運転手さん、ありがとう。あなたのおかげで、とても優しい気持ちになりました。


今日の運転手さんに出会ったことで、目に見える大きな成果を出せない日にも、小さなことにうれしさを見出して、今日もいいことあったな、と感じられるように生きていたいと思ったのだった。




f:id:like_nanohana:20190818220148j:plain


⛪️外観