玄米を炊く。
自分のためだけに炊く。
ひとりの食事。
「いただきます。」
「ごちそうさま。」
そこには誰もいない。
ふと、亡き祖母のことを思い出した。
祖父に先立たれ、6人の息子、娘たちも
みな巣立った後、
片田舎の大きな平屋の家にたったひとり
いまのわたしと同じように
自分のためだけの食事を用意し、
食べていたであろう祖母は、
何を支えに日常を過ごしていたのだろうか。
裸電球に毎夜寄ってくる虫にさえも、もしかしたら、自分以外の生き物がそこにいるという安心感を覚えていたのかもしれない。
それから何年かの時を経て、自らの意思で老人ホームへ入居した祖母の思い出のなかに、笑顔はない。
幼いわたしが時折祖母に宛て出していた葉書を喜んでくれていたし、返事も欠かさずくれていて、心の交流もあったというのに、悲しいことに、わたしの思い出のなかには、祖母の笑顔はないのだ。
この事実は妙に痛い。
今まで深く思いを巡らすことは無かったが、こんな静かなひとりの夜は、愛する者が今もどこかで笑って生きていて欲しいという、ささやかな願いだけが、心を支えている気がするから。
だからせめて、祖母の過ごしたひとりの時間を、時を経て、私が共有していることを伝えたい。
笑うことさえ忘れてしまったおばあちゃんの寂しさをいま、わたしがひとり、感じているよ、と。
郷愁🌾