朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

聖母子像

日本橋高島屋の屋上にいる。


いよいよ、ソウルワークに動き出す日が来た。もう迷いはない。

満月の夜に強風が吹き荒れている。いい波がきている。この波に乗ることを選ぶ。


日本橋の街並みが美しい。

クリスマスシーズン真っ只中、イルミネーションが道道に輝いている。用事は済んだが、しばらく歩いてみたく、気になる光につられるがまま、いろんな道を通る。


歩きながら、ふと足を止めた。

左手にマリア像のような母子の彫刻がひっそりと飾られていた。そこはギャラリーの前だった。漂う静けさに奪われた。

神さまが見せてくれているような気がした。


わたしはこれまでの人生の中で、限りのない静けさに守られて生きてこれた。

誰にも触れられることのない心の奥にある聖域では、火の灯る蝋燭が静けさの内に明かりを放っている。

その火は、どんな時も消えることなく、蝋燭もいつまでも無くなることなく、ただそこにあった。その存在を感じられない日々の方がずっとずっと長かったが、あの火はいまも変わらず明かりを放っていることを、母子の彫刻を前に思い出していた。


家に帰ると息子が飴をひとつくれた。

封を切ると中からピンクのハートの形の飴が現れて、可愛くて、とっても嬉しくなり、ハッピーな笑顔でありがとうと伝える。


昨日の記事を読み返してみたら、カッコよくて、自分好き♡と思う。

自分のことを''あたしもカッコよくなったな…''と満足したのだ。


思っていることをストレートに言葉で伝えることは、時に相手を傷つけることもあるかもしれないが、その思いの出処が愛であるなら、伝わる相手には必ず愛として伝わると信じる。

それは、すぐにではないかもしれない。一時的に恨まれたり、嫌われたりするかもしれないが、時を経てから、あれは愛だったと相手が気づくこともあるかもしれない。

ならば、いま言いたいことを言うことは、とても大事なことだろう。


わたしはもう他者から嫌われることを恐れていない。何故なら、たったひとり、わたしを信じ愛し続けてくれる人の存在があるからだ。

大体おわかりかと思うが、その人とは、もうひとりの自分だ。本当の魂の自分。

この人が凛としてわたしの中心にいることがどれほど心強いことか。そして、この人との愛を深めたのは紛れもなくわたし自身であるという事実。


人間とはまったく不可思議な生物だ。

不可思議であるが故に、行先が図れず面白い。こんな生物として生きていることを笑いたい。できることなら、みんなで笑い合いたいのだ。


今夜は2019年最後の双子座で満月

そして22日は冬至

26日の新月は日食(日本で観測できる)


と、天体の動きにも注目しつつ、2019年まだまだ何が起こるかわからない日々を、共に生きましょう!



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語らずして語る