朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

ベクトル

今日は、満月と、お盆と、台風が重なったこの夏最大の目に見える世界と見えない世界のコラボday。

占星術の占いでは、見事に、スペシャルハッピーな愛の日!やりたいことがなんでもできる日!不思議な縁が繋がる日!などなど…ポジティブなパワーが空から降り注ぎまくってるとしか思えない結果の嵐。


が、しかし、


わたしは昨日からの頭痛が治まらず、スペシャルハッピーdayをきれいに棒に振るかたちで家で頭痛と戦う時間を過ごした。

夕方になり、だいぶ楽になってきたので、外に飛び出し、気がつくと近くの大きな公園にいる。台風特有のあの生ぬるい空気を胸いっぱいに吸う。


わたしはいったい何をしているのだろう。


普段、ネガティブなことは言わないことを心がけているが、今日のような日は、やはり言いたくなってしまう。ベクトルの矛先はもちろん他者ではない、自分だ。


わたしは何か悪いことをした?NO

わたしに今日いいことが起きなきゃいけない?NO

ただ生きてることを自分に許したのは嘘だった?NO


ネガティブなことをどうして言ったらいけないと思っているのだろう。

よく考えてみたら、特段問題などないのだ。

けれど、頭はすぐに問題があると思おうとする。


ひとりでいることを寂しく思うときは、自分といることを忘れてしまっているときだ。他者に温もりを求めてしまうときは、自分の温かさに触れようとしていないときだ。いま、わたしはわたしと共にいるし、わたしには温かい血が流れている。空の雲はものすごいスピードで流れてゆくし、となりには、大きな木が黙って立ち、葉は風に吹かれるままに、ざわざわと歌うようになびいている。


孤独を愛したい。

強がりじゃなく、本当の強さで。


たったいま、自分と同じような心持ちの誰かがいようといまいと、わたしだけの孤独をただそのままに見つめたい。


この世界からも、社会からも、家族からも切り離されて、ひとりだとしても、怖がることなく静寂の森に足を踏み入れてゆく。わたしがいまここに居ることをそのままに感じたい。


風が強くなってきた。

誰もいない。

まるで世界の果てに迷い込んでしまったかのよう。

それでも、わたしはここにいる。

それだけは確かだ。


酒は飲んでいないが、自分に酔うことはできる。恐らく、明日以降この文章を読み返したら、めちゃくちゃ恥ずかしい!とか思うであろうことも容易に推察できる。

けれど、今この時、わたしはこんなこと想ってるわたしを生きているのだ。 


すべては流れゆく。

おなじ瞬間は二度とはない。

そう、どんな一日も等しく一日だ。


くりかえされる同じ景色の日常に、その日を生きる自分が何を見出すか、そこに力を注ぎたい。人との関係も同様に、刻一刻と細胞が生まれ変わっていく自分が、いかに、新鮮に相手と対峙できるかは、一種の自分との勝負のような気がする。

水が透明でいられるのは、止まらない流れがあるからだ。家が朽ちていかないのは、そこに人の営みがあるからだ。わたしがわたしという透明な器でいられるよう、魂を磨くことはサボらずに続けていきたい。


希望!


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歌うポプラの木🌲