朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

自分史

道場に置いてる新聞の端の記事になんとなく目を留めた。

そこには、この機会に''自分史を纏めてみようと思う。''というようなことが書かれていた。


……わたしはこのブログを''自叙伝を書いてみたい!''という思いだけで、去年の夏至の日に始めた。これまでに自分の人生のなかで出会えた素晴らしい人たちのことを記事にしてみたかった。実際にそれを残せたことは、かけがえのないわたしの宝になった。

今日まで続けてきたなかで、本当の自分を生き始めてからは、素晴らしい出会いと別れの連続だったなぁ〜、、と、堂々と過去を懐古することができる。


'' 生まれた時から自己責任 ''


このフレーズを採用してからは、大袈裟でもなんでもなく、自分の人生ほど面白いものは無いと思うようになった。

わたしはすでに、今世欲しいものを全部捕りに行く覚悟を決めている。覚悟を決めてしまった以上、どんなに転んだって、何度でも立ち上がり、前へと歩みを進めるのみだ。心がブレそうになる時は、人生の師であるAさんが言ってくれた『しゅりさんは芯が強い』のひと言を胸に抱き、芯が強い自分を思い出すだけでいい。


わたしの家には夢ノート的なノートがそこら中に転がっているのだが、約2年前、その一冊に書いた夢のいくつかが、最近叶っていたことに気づく。このノートは、当時伊勢神宮に行った際に買ったものだ。

女神と共に未来を創造したあの日、美しいインスピレーションが降りてきたあのときに、

わたしはわたしの神様と繋がっていた。


大きな時代の流れが変わったいま、風と共にまた新たな一歩を踏み出す時がきたことを実感している。


わたしには、ひとりひとりが自分の本当に生きたい世界の創造主として生きて欲しい!という、あまりにも分不相応な願いがある。それが叶ったら、わたしの世界がそれはそれは多種多様な個性的で美しく面白い世界になることが想像できるからだ。

正に!ひとりひとりが輝くシャイン、カンパニーである!(繋がったー)そして、シャインひとりひとりが自分史を創り上げていく姿を見ていきたい。


創造主として生きるとは、自分軸で世界をとらえるとも言える。あなたの人生の主役はあなた以外に有り得なく、どんなに有名な尊敬するあの人も、あなたの人生のなかでは、登場人物のひとりに過ぎない。あくまでも、主役は自分だ。自分を軸に生きることを決めてしまえば、誰かの人生の登場人物止まりで、人生を終えることは無くなるだろう。


これを読んだ人のなかには、『何様のつもり?』とか『めっちゃ上からだな』とか『そう思うならあなたが勝手にそう生きればいいじゃないですか?』とか思う人もいるかもしれない。

言いたいことはわかる。

確かに、そうとも言える。

感想は自由だ。


ほんとに凄い人は何も言わずにただ与えられた命を真摯に生きていることだろう。


けれどわたしは、凄い人じゃないのだ。

自分が暑苦しくて、ダサいことを自覚している。凄い人になりたいわけじゃない。誰かに支配された偽りの人生から脱却し、ほんとうの自分をあなたに生きてほしい。

それを、あなたのためじゃなく、わたしのために言っているのだ。あなたがあなたという種をそのまま生きて輝いている様をわたしは見てみたい。純粋な好奇心である。


最近、愛について様々な想いをめぐらせてわかったことは、わたしは、普遍的なひとつの真理を知りたいわけではなく、わたしが自分の愛を生きていった暁に、一体どんな境地に辿り着くのかをただ知りたいだけ、だということがわかった。


それはつまり、参考になるものはひとつもない、ということだ。


わたしがこの人生を生きていく中でしか見つけることができず、宝探しのような冒険を続けることでしか得られない。

先に教えがあって得られるものではないということ。


こんなこと考えれば考えるほど、やっぱり自分の人生がいちばん面白いに決まってる!と、妙に納得してしまう。


どんなに他者に理解されなかろうと、馬鹿にされようと、わたしだけは、わたしの創造の味方であろうと思う。


そして、自分の人生を本気で生きる人たちと共に、最高に楽しく愉快に笑って生きていきたい。



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🥑とクリーム🧀とガーリック🦐のサラダ🥗

しごと→運動→おいしいもの

最近の神ルーティン🌈