連日、魂の仲間たちが続々踊り出している。
完全なるオリジナル。
音楽(曲)と独自の感性によって生み出された作品。
まずい。出遅れた。
しかも、ひとりひとり凄いものを出している。そんなもの内に秘めてたなんて…。
しかし、それはほんの一部で、ひとつ出した途端、その人のなかにあった誰にも見られずに隠されていた宝が、どんどん溢れるように発掘され続けているよう。
わたしも踊りたい。
頭で考えたら、そんなこと簡単にできるわけないって、声がする。
それでも、心は訴える。
わたしも踊りたい。
わたしには何があるだろう。
どんな音で?
どんな叫びを?
ふと、頭の中に流れたメロディーがある。
コトリンゴが歌う
『かなしくてやりきれない』だ。
''この世界の片隅に''という、戦争の時代の日常を描いた映画で使われた曲。
日々の小さな幸福、当たり前の凄み、大切なものを慈しむ気持ちを常に忘れないように生きていよう、と思わせてくれる温かい曲。
即興で家でメロディーに合わせて動いてみる。
不思議なことに、自然と踊りが生まれた。
女のかなしみが溢れてくる。
こんなにも深い孤独を抱えて生きてきたのかと、呆然とする。
そして、思い出していた。
ある人に言われた、わたしがずっと見ようとしなかった本当のわたしと出会うきっかけとなったあのひと言を。
忘れられない、はじまりのあの日のことを。
なぜ踊るのか。
なぜ歌うのか。
なぜ話すのか。
なぜ書き記すのか。
それはただ、この世界を愛し尽くしたいからだ。
わたしが愛そのものであるなら、わたしから生まれるものは全てが愛でできている。
あなたが愛そのものであるなら、あなたから生まれるものは、全てが愛でできているのだ。
もっともっと、と叫ぶ声を小さいものから大きなものまで、ひとつずつ拾い集めて、放出していきたい。誰のためでもなく、ただ自分のためだけに。
わたしの魂の冒険の主人公はわたしだ。
誰にも譲らない。
この冒険は、わたしだけのものだ。
好きに生きる。
自由に生きる。
その先に仲間と共に生きる未来がある。
さらにその先の未来に、愛するただひとりの人とこの世界の最期の時を過ごす日々が続いてく。
そして、わたしたちの肉体がなくなったあと、歓びの世界が扉を開けて待っている。
わたしたちを待っている。
朝日に誓う