今わたしは、嫉妬に興味がある。
嫉にも妬にも、漢字に女が含まれていることに、意味がありそう。
長年わたしは、なんとなく嫉妬に対しては、悪い感情だと、あまり深堀せず、実態を追求することなく過ごしてきた。
というより、嫉妬するほど、なにかに執着することなどない生き方をしてきたため、嫉妬がよくわからない。
とりあえずわからないからググることから関わってみることにした。
嫉妬とは、他人が自分より恵まれていたり、すぐれていることに対して、うらみねたむこと。自分の愛する者の愛情が他に向くのを恨み憎むこと。同義語はやきもち。だそうだ。
嫉妬は恨んだり、妬んだり、憎んだり、字面からして完全に悪役。
そして思うに、嫉妬にはハッキリとした対象(他者の存在)がいる。散々自分軸については考察を深め、自分のものとしたわたしが思うに、対象に向かって悪の感情を抱くことで、自分が幸せになることはまず無いことがわかる。
何故、対象に嫉妬したのか?
理由をまず知ることからだ。
他人が自分より恵まれていたり優れていることに対して恨み妬むこと
↑ここに着目すると、勝手に自分が他人より劣っていると、決めつけていることがわかる。思い込みによって生み出されるのは、恨みや妬みといった愛からかけ離れた幻想だ。おそらく、嫉妬が生まれる時とは、自分が自分に目をかけていない状態と言える気がする。嫉妬の対象である他者は、きっと、自分に目をかけていて、自分を発揮しているからこそ、恵まれているように見えたり、優れているように見えるだけで、本当は、自分と何も変わらない。ワンネスの原理で言えば、あなたもわたしも同じものでできているとなる。つまり、自分を大切にし、自分を生きることに夢中になれば、この感情は自然に消えてゆく。解決するのだ。
自分の愛する者の愛情が他に向くのを、恨み、憎むこと
↑これに関しては、根底に、ひとりになる恐怖心がある気がする。
人はみなひとりである、ということを認められず、他者との繋がりを、言葉や契約で縛り付けておかないと、不安で心が安定しないことの裏付けのようなものだと思う。誰かにとって特別な存在であるというお守りがないと、ひとりになってしまう。その恐怖に襲われることから、逃げたい一心という印象。
完全にベクトルが他者に向いている。問題解決の糸口は自分にこのベクトルを向けること。まずは孤独を愛す覚悟を決める。ひとりでも堂々と、大地に立つことを目指す。嫉妬をきっかけに、他者ではなく、自分に執着すること。自分という存在を愛すことで、不安は和らいでいく。
もしも、この世界にたったひとり生き残った時、自分という存在を深く見つめ生きてきたか、こなかったか、では、その時の自分は大きく違うだろう。
それまで、他者にばかり目を向けて生きていた場合、ひとりになった時、恐怖から頭がおかしくなり、すぐ自殺してしまうことが予測できる。
しかし、自分に目をかけて生きてきたのなら、たとえ世界にたったひとり取り残されたとして、自然に息絶えるまでは、生きるための工夫をしながら、生きられる気がするのだ。
なぜなら、そこに自分がいるから。
生きている間に、自分から愛を注いだ人が多ければ多いほど、ひとりになってもひとりとは思わないだろう。自分の中に永遠に尽きることのない愛が生きているからだ。他者と関わり、渡し合った愛に生かされるからだ。
心は誰にも縛ることはできない。
完全にフリーなのだ。
これが、わたしの考察による嫉妬の実態。
ただ、これで嫉妬を全て解決というわけにはいかない事情がある。地球規模の闇の想念。女が受け続けた傷の深さにより生まれた集合無意識(歪んだ女性性・男性性)により、今も勝手に作られ続ける、言うなれば嫉妬の裏という強敵がいる。
こいつを倒すには、矢面に立ち、見えない槍を弾き返す強さのある女の存在が、いまこそ必要なのだ。真の女性性を立ち上げる必要が。
わたしは女(身体の構造上)だから、女視点の話になってしまったが、歪んだ男性性を倒すには、矢面に立ち、見えない槍を弾き返す強さのある真の男性性を立ち上げる必要があるのだ。
先陣切るのは武士の血を引いたわたし自らと決めた。そして、有難いことに、同じ血の通う仲間が集まり始めている。戦いは始まったばかり。
戦いとか言うと、勇ましい印象を与えてしまいかねないが、わたしが思う真の男性性とは、女を愛する気持ち、愛に対して無条件降伏することを受け入れる強さだと思う。
そして、真の女性性とは、ありのままの自分で、愛を受け取ることを自分に許す強さだと思う。
現時点での答えはこれである。
いま、この瞬間から、わたしは、ありのままの自分で愛を受け取ることを自分に許す!
闇は光に転じる