朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

Nツーの人々《本編》

さて本編!


この旅行会社のビザ班と呼ばれるバイト5~6人と定年間近のおじさんだけで構成された部署へわたしは入った。

ここでの仕事内容は、都内の各大使館に、主にビジネスビザの申請&受領に行くことだった。 地域ごとに担当が決まっており、基本ひとりで担当地域をまわる。

わたしの担当は渋谷地区で、ベトナムUAEオマーン・モンゴルなどが申請数の多い国だった。  特に代々木八幡のベトナム大使館へは毎日通った。  大使館近くのデンマーク大使館御用達のデニッシュ専門店のダークチェリーのデニッシュが大好きで、それを買うお楽しみがあり、それだけでも毎日が楽しかった。


室長と呼ばれる班のトップのおじさんともう1人は、来る日も来る日も、いつも狭い部屋で肩を寄せあい、仲睦まじく、堂々とソリティアをしては笑っていた。   ほかの部署とはほぼ関わりを持たず、とにかく毎日定年の日を待つばかりの人たちだった。


バイトのトップに君臨していたのがY野さん

この人はイラクなどの中東諸国に暮らしていた経験があり、アラビア文字がスラスラ書け、なんならアラビア語まで話せてしまう独特すぎる世界観を持った年齢不詳の彼は、室長の目を盗んでは、ビザ班の電話機からS〇クラブに偽名でしれっと予約をしてしまうとんでもないおじさんだった。  メンバーがひとり抜けた際、190cmほどある長身なのに異常に腰の低い戦場カメラマンの後輩を連れてきて、ビザ班に入所させていた。師弟愛に溢れた2人組だった。


帰国子女でゲイのN口さん

英語が得意だったので、規模のでかいアメリカ大使館担当だった。  よく、女子メンバーの彼氏の写真を見ては『あなたの彼は私のタイプじゃない!』などと、聞いてもないのに勝手にジャッジし、言い回っていた。 時々、町で同士を見つけると『さっきカッコイイ人いたの♡』と報告をしてくれた。 N口さん曰く、目が合えば同士と分かるらしい…わたしは、''そういうものなんだ~''と、感心して話を聞いていた。

彼には新宿二丁目に飲みに連れて行ってもらい、あの世界を垣間見させてもらったこともある。


サスペンダーM野さん

彼は顔立ちが非常に整っており、黙っていたらかなりの好青年といった雰囲気の人だったが、イギリスのエジンバラかぶれで、バイトで貯めたお金でエジンバラに留学することを目的に働いており、痩せすぎていたため、ズボンのベルトが合わず、サスペンダーをしていたのが最大の特徴。 お昼ご飯は節約のためシュークリーム1個にするなど、内実けっこう変わった人だった。


いつも笑ってるM間さん

彼女はわたしのひとつ、ふたつ年上だったが、とてもフレンドリーで、いつもニコニコしている明るい人だった。 わたしが唯一あの職場でちゃんと心を開いて接することのできた人物だったが、よくよく考えてみると、わたしもM間さんもけっこう変わっていたのかもなぁ~と、あの職場の全体像を見回すと、そんな気もしてくる。 彼女の実家は、お母さんが犬のブリーダーをやっていた。 真夏に心霊スポットに車で行くなど若者らしい遊びを一緒にしてくれて、楽しい思い出もいっぱいある。


ほかにも、森高千里によく似た南の島大好き超絶爽やか主婦の人(何故この職場に?)とか、大学生の茶髪サーファー(職場にボード持参で出勤)とか、政治家の見習いみたいなことしてる一見エリート風な凡人とか、とにかくビザ班には、ちょっとした個性が際立ってる人しか寄ってこないジンクスがあるようだった。


ただ、ビザ班は、わたしにとっては、なぜか非常に居心地のいい場所だった。  

それはきっと、真面目な人や、ルールをしっかり守る人の中にいると、そういう人に合わせて萎縮してしまう性質が自分にあり、息苦しさを感じてしまう傾向があったからだと思う。

その点、ビザ班は基本、みんな変わり者集団であったため、誰かや何かに合わせなきゃ!といった、頑張らなきゃヤバい雰囲気じゃないところがよかったのかも知れない。

当時、日本で変わってる人と見られがちだった人は、人のことなどお構い無しで自分の世界を生きていた  ''ゴーイングマイウェイ''な人たちだと思う。

みんな我こそは!と、早い者勝ちで海外の航空券をゲットし、順番に何週間単位で休みを取り、旅行に行きまくっていた。 もちろんわたしもそのひとり。  留学中の友人の家に泊まらせてもらうなどして、いろいろ気ままな旅ができたから、ほんと、あそこはトータルで''メリットあったなぁ~''などと思う。 

上記メンバー以外は、時々人が入れ替わることがあり、一時大学生のMくんという人がいたことがある。 

彼は、マウンテンバイク持参でインドを一周する旅に出るというので、ちょうどその旅行期間中に、わたしは記念すべき20歳の誕生日を迎える予定だったので、彼に現地からバースデーカードを贈るよう要請した。 彼は''できたら送ります!''と言ってくれ、実際、誕生日の当日にメッセージを書いてくれたカードが自宅に届いた時は、ものすごく嬉しくて、感動したものだ。


わたしはそれから半年後に、結婚することになり、上記メンバーとMくんが送別会を開いてくれた。 みんな変わり者だったかも知れないが、本当に優しくて心の温かい人たちだった。


そして、Mくんが笑顔でわたしに言ってくれた『20歳で結婚と出産を決意した朱里ちゃんはすごく格好いいと思う!』というあの言葉は、どんな贈り物より、長く長く、わたしの心を支え続けてくれた。 辛いとき、時々思い出しては、''頑張ろう''と思わせてくれた。

時を超えてお礼を言わせて下さい。

Mくんあの時はありがとう。   あなたの言葉に支えてもらって、数々の試練を乗り越えることができました。あなたがしあわせであることをわたしもいつも願っています。


誰かとの出会いから学びがあり、生きててよかった、と思える瞬間が誰しも人生にあると思う。 けっこう忘れている記憶のなかに、小さくても心が温かくなるような思い出が隠れていたりするかもしれない。

   

わたしはこのブログを続けてきて、けっこう書きながら忘れていた色々なことを思い出すことが多いので、なんとなくあれ書いてみようという気持ちを大事にしている。 

そして、そのなんとなくの中に、コアな自分を発見したりして、面白い。  

''全然変わってないじゃん''という面と、''しっかり変わった''という面どちらも見つけられる。 

そして、やはり自分が生きてきた人生の中にしか、自分が本当に知りたいことはないのだと気づく。だからいま、自分がどんな行動をして、誰と会って、何を感じて、が、何よりも大事なんだなぁ~と改めて確認することができました。


では、今日もマイワールドへ出かけます!




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自分の足で