朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

神社と森と美術館

真夏の太陽が燦々と照りつける中、一度行ってみたかった港区の愛宕神社へ出向く。
鳥居をくぐり、出世の階段と呼ばれる斜行が非常に急な階段をゆっくりと登る。  写真で見たところ、かなり段数が多そうでビビっていたが、実際は思ったよりずっと段数は少なく、すぐに境内に辿り着いた。  鯉が泳ぐ池があり、由緒正しき古き良き空気がこちらの神社には流れていたが、どういうわけか、わたしにはしっくりこなかった。  やはり、神社はご縁あってこそなのだろう。  今後はやはり、偶然の導きにまかせて、その時ご縁のある神社へご挨拶をしたいと思う。

御成門から白金台へと移動し、国立科学博物館付属自然教育園へ。   ここへも初めての来たのだが、そこは、まさに大自然。  完全に東京ということを忘れるほどの素晴らしい手付かずの森であった。  自然から教育を受けるとはこういうことを言うのかと「うわぁ~」とか「格好いい木だなぁ~」とか「あ、カワセミだ!」とか、気がつくとひとりごとを連発していた。特に、超特大のオニヤンマが目の前を優雅に飛び去って行ったときは「わっ!!オニヤンマじゃんッ!!」と、まるで子どものように純粋に感動してる自分に出会い、なんだかとてもうれしくなってしまった。  虫取り網を持って夢中で走り回った子どもの頃の夏の記憶と、いまの自分が重なり、いつの間にか失ったと思い込んでいた純真さは、実は未だに自分の中にしっかりと生きていることを感じることができたのだ。
   
大きなカメラと三脚持参で来ていた常連と思われるおじさん達も、カワセミが飛び去ってしまったとき、『あちゃ~、行っちゃったよぉ~』と、かなりの落胆ぶりを隠す素振りもなく、あらわにしていて、ここにも仲間がいたと、隣でくすっと笑ってしまった。
   
自然は偉大だ  何も語らないのに、全てを知っていて、悠然と構えている。  言葉を頼って、言葉じゃ足りないことを知り、もがいてしまう自分の小ささを思い知る。  わたしはこれから自然を先生と呼ぼう。そうだ!それが一番しっくりくる気がする。

自然教育園のすぐ隣には、東京都庭園美術館がある。友人のM(前記事参照)が大好きな、アールデコ様式のかつての皇族の方の邸宅を美術館として一般公開している施設だ。わたしは初めて来たのだが、あまりの美しさに心がじわじわ満たされていくのを深い呼吸と共に感じられた。 美しいものを見ると心は満たされる。本物であればあるほど、充実感も深まってゆく。  各部屋の照明は、ひとつひとつデザインが異なり、しかも、どれもあまりにも完成度が高く、ずーっとそれだけ見ていても飽きないほどの美しさであった。 ここにもし、自分が住んでいたとしたら、どの部屋を自分の部屋にしたいかな?などと、最高に気分のいい想像も絡めながら、じっくりと観察して周った。 真夏の昼下がり、ひとり静かに余りあるほどの豊かな時間を過ごした。

今日はいい1日を過ごしたなぁ~と、帰りの駅へ向かう途中、通った公園の掲示板に貼られていた氷川神社のポスターに目を留めてしまう 。「あ、これは、偶然のやつや!」と、行かないという選択はできなくなった。 なぜなら、偶然の導きによるご縁の~って、つい数時間前に自分で決めてしまっていたのだから。  
 隣駅の白金高輪へと移動。  有難いことに駅から近くすぐに辿り着く。鳥居をくぐり、階段を上り、誰もいない境内へ。
猫がまるで守り神のように随所に寝転がっている。可愛い。 参拝する。
  
こちらの神社の御祭神は須佐之男命・日本武尊・宇迦之御魂神であった。  
ご縁をしっかり感じる。 ものすごく気持ちのいい風が参拝中吹き抜けて、お呼びいただいたことを知る。  有難いボーナスタイムとなった。

今日は朝から立て続けに『ありがとう』と感謝していただくメッセージが各方面から私の元へ届き、逆に「ありがとう」とわたしも思わせていただいた。  循環している。生きた言霊。

なんのオチもつけようがないほど、充実した1日となりましたので、ここにそのまま書き残したいと思う 。  

読んでくださった方々

『今日も生きてくれてありがとう!』



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美💎