朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

日常

昨日は、しっかり思い返せるならば、なんとなくしあわせな出来事がぱらぱらと散りばめられていたような一日だったが、もう既にすべてを思い出すことは不可能の模様。


なんだっけ?

ほんとに、いい感じなこといっぱいあったはずなんだけどなぁ〜…。


まあ、そんな日もあるだろう。


先日、あのビッグウェーブが来た日に、衝動的にいくつかの記事を消去してしまった。なんだかその時の自分が見た時に、どうしても違和感を半端なく感じたからだ。

わたしは以前、インスタもそんな感じで、衝動的にアカウントごと抹消したことがある。


いつも、失う(手放す)ことに対するハードルは低い。


スペースをあけると、そこには、また新たなピースがはまることを知っているからだろうか。

何事も、自然と調和している状態と、執着とは、反発するエネルギーのため、共存できない。

自然と調和ができていれば、手放したとしても、縁が続くかぎり、自分の傍に有り続ける。

手放して消えるのなら、それはもう、今世の縁は一旦終わったということだ。

そこに執着し続けることは、自分の変化、進化、を塞き止めることになるし、何より、ほんとうではない。


本当とか、本物とか、本能とか、本質とか、本気とか、本音とか、本心とか、本性とか、本望とか、本題とか、本筋とか、本来とか、本命とか、、


( 多いな笑 )


わたしはあらゆる本がつく言葉の持つ意味が好きだ。

大元のはじまりの概念が。


自分でコントロールなどしなくても、信じ切れば、うまくいく。

だって、自分も自然の一部だから。


今を生きる。

瞬間を捕える。


これさえしていれば大丈夫だと、やっと自然に思えるようになった。


春分も近い。


毎日をあそぼう。



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ボケの赤