朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

宿命

もう死んでしまいたい…

こんなこと思うの、本当に久しぶりのことだ。

なぜそんな気持ちになったかというと、今生自分が生まれながらに背負ってきた宿命というものが、とてつもなくデカく、とてもじゃないけど、今からそれを成し遂げるなんて到底無理なんじゃないか、という思いに囚われたからだ。

なんて言いながら、その宿命が一体何なのかが、わかってるわけではない。
しかも、宿命なんて時代錯誤も甚だしい。
やっと、長く続いた修行モードの時代が終わり、どんどん明るく軽く華やかにひとりひとりが輝き出す時代に入ろうという今、なぜわたしは、あろうことか、これから修行を始めて己の精神を鍛えようとしているのだろう。
これこそが、武士の血を引いた者の宿命なのだろうか。

急に恐れの感情が湧いてきた。
マジで、このブログの中だけで洒落で終わらせたい。

輪廻転生の回数はわからないが、男と女のどちらにも転生してきていると考えた時に、わたしは圧倒的に男の回数の方が多いのではないか、と思う。
格好いい男性像ならいろいろと頭に浮かぶが、格好いい女性像となると、結局いまいち掴めていない。
敢えて言うなら、やはりお母さんだろうか。
格好いいお母さん像ならイメージが浮かぶ。

なんでもできる。
この人を頼ればなんとかなる、という安心感がある。
縁の下の力持ち。
存在が薬のようである。(病気を治せる)
明るく元気。(心配ご無用)
頼もしい。

……わたしは今生、そこを目指したいのだろうか。

となると、やはり地に足を着け、生きる上で大切になる立ち居振る舞いの所作を体に叩き込みたい。美しいオペレーションを構築したいのだ。そう考えると、そのための修行の道という選択は、やはり自然だ。

けれど、忘れてはならない。
いまは、自分の気持ちひとつで何でも選べる自由な世の中であることを。
武士が覚悟を決めるとは、一生を賭けるほどの一大決心が必要だったはず。
そうか。
その記憶がこれ程までにわたしを縛りつけてきたのかも知れない。今までの人生の中で、とりあえず、という決断がどうしてもできなかった理由があるとしたら、それはきっと、武士の血のせいだ。一度決めたらやり遂げなければ死を意味する。それがきっと怖かったのだ。

よし。
それがわかっただけで、死にたい気持ちは和らいだ。

いま生まれてきたことの喜びのど真ん中を生きよう。その自由は許されている。

真実の愛にあふれるセカイが目前に迫っているのだ。

重い記憶は消し去り、軽く明るい希望を生み出そう。

大丈夫。
真実の愛がかならず本当を教えてくれる。


詩をひとつ


恐れに屈して

己を見失うな

そうすれば

魂の導く道が

目前に拓ける


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拝啓