朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

artist

アーティストの意味合いを検索すると、アートを扱う職業の人、自身の芸術活動を主な収入源にする人、などと出てくる。

一般的にはそういうことになるのだろう。

けれど、わたしの独自の解釈で言うなら、アーティストは、''表現者''だと思う。

職業云々ではなく、自分のなかにある想いを表現する人は皆、アーティストということになる。

逆に言えば、アーティストと言われている人の中にも、アーティストではない人もいる。

どれだけ純粋に表現ができるかが、勝負だ。

その視点で見た時、何者でもなくとも『こいつは最高のアーティストだな!』と思う人が、わたしが出会った人の中には、いまも、過去も、沢山いる。


なぜこのような話になったかは、予告通り今日観た、ラストレターの話と繋がっている。

ネタバレしちゃうわけにはいかないので、遠巻きに感想を含め、映画から感じとったものを、わたしなりにイマジネーションを膨らませて表現している。


生きていることも、死んでゆくことも、どちらも悪くないな…


そんなことを思った。


わたしの家の本棚に、1997年11月に発行された、ジェーン・バーキンセルジュ・ゲンズブールが表紙のCUTという雑誌がある。世界的に有名な最高にクールなカップルだ。

その本のなかのインタビュー記事で、リヴ・タイラーが『私にとって一番クールなことは、どうしようもないくらい、アンクールだってことね。』と楽しそうに語っている。


大好きな発言だ。


どうしようもなくアンクールになれる人間は少ない。だって、アンクールこそが、クールから一番遠いと、自分を表現するより先に、洗脳されて思い込まされている人間が多いから。

その結果、クールに決め込みたいと、カッコつけて、自分じゃない者になろうとしたり、大きな力にコントロールされて、自分じゃないものを表現したりし出す。それこそがクールであると信じて演じる。

だが、本当にクールなのは、その人がその人でしかいられない、その人そのもので生きてることだって、思う。

わたしは作られたものに興味が無い。

どんなに知名度が高かろうと、どんなに客受けがよかろうと、むしろ、そういった評価の高さは、仮初の表現をクールだと思い込んでいる人間の数に比例しているのではないだろうか?そのような疑いの目を持ってしまう。


自分を表現し出したら、周りの反応なんて度外視に、自分だけは喜べるはずなのだ。好きなことを好きなようにやって楽しいのは、いちばんは自分だから。


なぜ評価をこんなにも恐れてしまうのだろう。評価されないとまるで自分には価値がないような気になってしまうのだろう。

深い洗脳から解放されるのに大事なことは、好きなことをやり続けることだと思う。

私もこのブログを始めた時に、めちゃくちゃ怖かった。見てもらえない恐怖に怯えた。見てもらってなんぼ、みたいな感覚をもっていた。…が、今は違う。

自分が楽しくてやり続けている、と言える。たとえ、誰にも見られなくても、わたしはわたしの記事のいちばんの読者だ。そのひとりは獲得しているのだ。

そこを始点とすると、めちゃくちゃ幸運なことに、日々、一定数の人が見てくれているというおまけまで着いてきた。

これはきっと、好きなことをやり続けたことのご褒美なのだと思う。

この感覚が嬉しくてたまらない。


ポエトリーリーディングをやる宣言をしたが、諸事情により、結局やらせて貰えないかも知れない事態になってしまった。悲しい。

でも、わたしはやる気満々だったため、何度もボイスレコーダーに録音しては、言い方の調整を計り、自分なりに納得できるレベルまで仕上げることが出来た。

そのことがめちゃくちゃ嬉しい。

自分は自分のパフォーマンスの観客になれた。これをやっている演者は、今まで知らなかった新しい自分だ。やりたいことをやりたいようにやったから味わえた感覚。他者に委ねないことの恩恵。


あー、楽しい。


自分を生きることそのものが、アート活動だ。


あなたも、あなただけのアート活動を自分のために始めてみてほしい。

ひとりだけは絶対に、自分チャンネル登録者になってくれるはずだから。そのひとりはものすごく大きい。何故なら、気紛れに称賛したり、酷評したり、そんなことしないから。

どんなものにも、YES!と力強く肯定してくれるはずだから。


楽しさは正義だ。



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