朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

嗚呼

最近、気分のアップダウンが激しく、疲弊ぎみ。夏の暑さの疲れが出ているのだろうか?

昨日の記事を読み返して、はっとする。


''5キロ走ってるよ。信じられない。昨日のわたしは元気だったんだ、、。''


久しぶりに友人に会って''元気だった?''という会話をする時は、ほぼ、''元気だったよ''と答える。無理はしていない。嘘もついていない。少なくとも自分ではそう思ってるという意味で。。わたしは、気持ちが沈むことがあっても、その沈んだ気持ちが長引くことは、ほとんどないのだ。


だが、ここのところ、だいたい一日おきに、アップとダウンを繰り返している。

元気な時は愛をあげたくてたまらない衝動に駆られるが、元気になれない時は、たいてい黙り込む。助けは求めない。ひとりでひたすら孤独と共に過ごす。誰にも迷惑をかけない。それでほとんど解決してしまうから、特に問題は無いのだろうけど、もし、大切な人がいまのわたしのような状態で、元気が無く、寂しい心許ない気持ちでいるのなら、ひとりで耐えてないで、わたしを頼って欲しいと思う。大切な人だから、苦しさを共有したい。なんなら甘えて欲しいとも思う。自分はそう思うのに、相手に求めない。


矛盾している。相手を信頼していないのだろうか?


みんなどうなんだろう?


めちゃくちゃ寂しい時とか、不安な時とか、誰かに何かを求めたくなる時とか、どうしているんだろう。素直に頼るのだろうか?相手に頼られたら嬉しいというのは、わたしだけの話なのだろうか?それとも、わたしと同じように思う人もいるのだろうか?


今度聞いてみよう。


放っておけば、時間が解決してしまうから、時間が解決するのを待たずに、声をあげてみたい。なんなら理想は、元気がなくても「元気だよ!」と言った時に、『本当に?』と聞き返してくれる一歩踏み込んだアクションが欲しい。それをされたら、たぶん素直になってしまう気がする。


などということを思うのならば、わたしが相手をよく知ることが先ず大事だろう。わたしの中に、こうされたら嬉しい、というものがあるとしたら、相手にもまたあるはずだから。それは、わたしと同じとは限らない。


何が言いたいのかよくわからなくなってしまった。


歌をうたう人はいいなぁ~と思う。

こういう、言葉で伝えるのが厄介なことほど

歌(じゃなくてもいいけど)にしてしまえば作品として形を成すから。


けれど、ここでまた思うのは、作品にできないもの(あえて形にしないもの)を抱えて生きることは、不器用だけど人間らしいな、とも思う。この思いは最終的には大きな空間に広がって溶けていく気がする。


明るく楽しい気持ちも、暗く沈む気持ちも平等に向き合う。とても小さな個人のセカイの海の波をサーファー気取りで乗りこなす。乗りこなすより、波に巻かれてることの方がきっと多いが、敢えて巻かれに行ってるとも言えるから、何度も立ち上がり、波に向かって突っ込んでいきたいと思う。


そうしたことで初めて手にする想いがある。


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巣箱を見かける🌳🐤