朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

5キロ完走🏃‍♀️

目に見えるものは変わらない。
そう、いつだって変わらないのだ。

午前中から、わけもなく良い予感がした。窓から流れ込む風は秋の匂い。ああ、今年もまた大好きな季節がやってきた。

ここ数日、無意識に繰り返すあのパターンにはまっていることに気づかずに、なにか身体の一部の歯車が狂っていることだけを感じていた。もがいて苦しむのではなく、じっと耐えて受け入れる苦しさを選んでいた。理由はあるのだろうけど、あえて追求はしなかった。

そして今日。''明日は明日の風が吹く''がごとく、いつの間にかあの覆いかぶさる重い雲の間を抜けていた。わけもない良い予感は、いつだって正しいのだ。

愛を原動力に動く。
断捨離が進む。部屋は瞬く間に片付いてゆき、風が綺麗に部屋を流れてゆく。不要物のエネルギーは、それがなくなれば、空間の軽さではっきりとわかる。できない時はどうしたってできないが、できる時は、どうしたってできてしまう。

さらに動く。
レスポンスが早い。滞っていたエネルギーが流れ出したからだろう。

気分がいい。料理のアイディアも浮かぶ。
不思議な人からLINEがくる。エネルギーに敏感な人だとわかる。文面が優しい。さらに気分がよくなる。

公園へ行く。走る。今日の目標は4キロ。走り出しから一定のペースを保つ。一周で1キロだから、4周だ。
3周目に目標を5キロに変更した。無難なところで辞めるのはいつものパターンだ。

…高校時代、マラソン大会で多摩川の土手沿いを走った。わたしは中学時代から、運動会やら、水泳大会やらで、好きでも得意でもないのに、みんなから人気がないという理由で担い手のいない競技になぜか「じゃあ、あたしがやるよ。」と、名乗り出てしまうという謎の習性があり、いつも人知れず苦しんだ。自業自得だから仕方がない。
運動会では長距離走に。水泳大会ではバタフライに挑んだ。結果はいつも惨敗。素直に得意な短距離走にでていれば、リレーの選手になれるくらいの速さはあったのだから、それなりに格好良かったはずなのに。。
たぶん、みんなで力を合わせて!みたいなものがわたしは好きだったのだ。クラス一丸となって、みたいなことが好きだったあまりに、選手決めで揉めたくなかったのだと思う。結果は惨敗でも、クラスメイトからは頑張りを労ってもらい、やった甲斐はいつもそれなりにあった。今となっては、良い思い出だ。

話がコースを外れてしまった。

いま言いたかったことは、高校時代のマラソン大会のこと。
たしか女子は4キロちょっとだった気がする。わたしは、実際の周数より一周少なくゴールできると思い込んで走ったことで、ペース配分が完全に狂った。
やったー!ゴール!と、立ち止まったら、先生から『あと一周!』と言われてしまい焦った。そこからの一周のキツさたるや、、最後の方で、よもやコイツには絶対負けるまい!と思った相手(喫煙者)に軽々と抜き去られ、へとへとになってゴールしたのである。

わたしは今日はその時の逆パターンで走った。3周目に4周をしっかり捉えていたので、5周に変更しても全然行けたのだ。しかも、5周目は喜びの走りができた。5キロを思いのほか、軽々と走れるということが嬉しく、今日の気分の良さを神さまに感謝して走った。
ありがとうございます!しあわせ!走れる!
うれしい!バンザイだ🙌

家に帰り、味は好かないがプロテインを飲んでみる。健康的な筋肉はつけたいところだ。運動後の清々しさはやっぱりいいものだな。なにもルールなど決めずに、思いのままに走りたい時に走ろうと思う。

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夜に花(完走直後だったため手元がブレる)