朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

脈絡がない話

誰とも会わない日々、連続記録更新達成中のいま。

昨日も夜、川沿いをすこし走った。

同じように走っている人の息遣いが、すれ違いざま微かに耳に響く。走りながら自分の呼吸に耳を澄ませる。それが集中になる。

体は使わなければ衰える。使いすぎたらガタがくる。わたしは動き回っているのが性に合うので、基本、長時間じっとはしていられない。ちょこまか歩き回っているのが丁度良い。

食べることに対して、自論がある。
好きな食べ物と嫌いな食べ物はみなあるのが普通だろうが、わたしがいちばん良いと思う食事は、その時食べたいものを食べることである。
その時食べたいと思っているもの=イコール、体が欲しているものだと考えるからである。
時間で食事をとるというのは、なんだかおかしな感じがする。お腹は減っていないのに食べるというのは、心も体も満足過多になるからだ。めちゃくちゃお腹が空いてる時に食べるものがなんでも美味しく感じるのは、心と体が同時に健全に満たされるからだと思う。
理想は、食べたいものを食べたい時に食べる。できるだけこのスタンスでいけたらずっと健康でいられる気がする。一日一食でも構わない。
この考えを大事に生きてきたわたしは、ほぼほぼ、病気をしたことがない。無理してないからだと思う。心と体の声を聞く。大事なことだ。

だんだんと、自分が好きなことに向き合う時間を長く過ごしながら、この世界を生きる人間の自分の意識が、魂の中心に近づいてきているのを感じる。
いつの日か、本心は心の奥の奥の奥の奥に鍵をかけて、森の深くへと隠してしまったので、見つけ出すのが容易ではない。何だかんだいつも同じようなことを言っていることを思うと、この探してる感じがいいのかもしれない。意外とそんなこと言ってる今を、楽しんでるとも言える気がしてきた。

前前記事で、夢を叶えるという話をしたが、わたしはいま、本当に自分が望んでいることは必ず叶うと思い始めた。
叶わないとしたら、それは単に本当の望みではないということだ。シンプルなこたえ。人に聞かれてすぐ答えられる夢や願望は、本当に本当の自分の中心から出てない気がする。

わたしはそう考えるので、叶わないのならしょうがないな、と思う。自分が自分の本当の気持ちに気づいていないだけなのだから。それくらい、簡単には見つけられないということ。
でも、探しに探して、いや、もうこれに間違いないでしょ!と自信をもって言えるようになり、なおかつ、いつ叶うかは天に委ねて、そのなんの確証もない、ただ自分の内なる声を信じ抜けた時こそが、夢が叶う時だと、わたしは決めた。

……ほんとにこれ、ただの日記だな。
脈絡がなさすぎる。

ただ、今日を生きた自分の証だけは残せてるので、すみません。良しとしたいと思います。

みなさまも日記の中では思う存分、自由に生きてください!きっとご自分が喜びます!

またあした🌗


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髪結の青年