朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

睡魔

目には見えないが、どうやら睡魔に取り憑かれているらしい。


寝ても寝ても眠い。

どうしようもない。いまも眠くて眠くてたまらない。まずい。このままでは寝てしまう。


このままでは、、、

というわけで、寝てしまった。


更新中を有りにしてしまった結果、連続投稿が途切れることはほぼ無くなったわけだが、このままだと、更新中を言い訳に真剣に生きない日が増えそうで、自分に懸念している。大丈夫か?そんなことでいいと思ってるのか?更新中無しにしたら、もっと必死に生きるんじゃないの?そっちの方がいいんじゃないの?いろんな声が聞こえてくる。


これは、前に恋愛の話で語ったことと同じで、いちばんいいのは、自然に湧き上がる思いを無理なく表現することだ。努力だなんだじゃなく、これを話したい!という、内側の欲求が日々持続的に起こり、このブログに向かうということ。それが途切れ途切れになるというのは、やはり、自分が整っていないのと同じだとは思う。整っていないとは、波動が調整できていないということ。まだまだ自由自在に扱えていないのだ。毎日、素晴らしい記事をアップし続けている人は確かにいる。そういった人たちと自分との違いを探す。


おそらく、そういった人たちは、断捨離をやり尽くし、余計なものを一切持たず、整理整頓、掃除などを常に心がけ、自分を守る術(たとえば、石とかクリアリング技術など)をみなそれぞれにもち、自分の喜びと人の喜びがイコールになっている生き方をしているのだと想像する。


わたしの場合、いまの住環境では、断捨離には限度があるし、自分が気に入ってるものだけに囲まれて暮らすことは不可能だし(ひとりじゃないから)自分を守る術も精度が高いとは言えない。必然的に、変化より受け入れる方の要素が高くなってしまう。ただ、受け入れるということだけは、もう何十年とやってきたから忍耐力だけは無駄にしっかり育った。ここに誇りを持つべきだと思う。他者と共に生きていく上で、受け入れ力は欠かすことのできない大事な要素だ。欠けている部分より、満ちている部分にライトを当てよう。いまは、欠けている部分が後にどうありたいかを気分よく想像するときだと思おう。


満ちている部分にまず感謝すること。与えられている恵を決して軽視することのないよう、謙虚に日々と向き合う。それだけでも、なんでもないようなことがしあわせに思えてくる。そう、これが大事な人を失ってから気づくと、ロード※(THE虎舞竜の名曲です)になってしまうから気をつけること。

いちいち深刻にならずに、ふざけて笑いながら日々を過ごすことは、とても大事なことなんだなぁ~


と、いまの自分そのままを肯定するための記事を書けて満足。


自分に、あなたに、街に、自然に、優しくなりたい。



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ぱらり ぱらり