朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

七夕

今日は七夕


雨がしとしとと降り続いている。 この空の高く高く上のお空に光る星を、見えないけど見上げる。今日、天の川で織姫と彦星が再会する。久しぶりの再会を祝い、歌ったり踊ったり騒いだりするのだろうか。 

一年にいちどってことは、同じ家に住む同士が、毎日かならず家で過ごすとしてたった90日間くらいのことだよな?いや、だけど、毎日顔合わせる90日と、90年で90回じゃ、一日の重みが全くちがうかな?(ここで言ってる90とは寿命のこと→発想が完全に人間的!)いや、その前に織姫と彦星って人間じゃないから時間は関係ないのかな?だったら、一年て概念もおかしいことになるし、とにかく好き同士なんだから、もっと会いたいだろうな、ひどい仕打ちだなぁ~などと、勝手に想像して楽しむ。

宮沢賢治星めぐりの歌を思い出す。

大好きなあの歌。 過去に宮沢賢治の作品を題材にしたプラネタリウムに行った。 星と宮沢賢治は切っても切れない深い縁がある。 ''あなたへ''という映画のなかで、わたしの尊敬する田中裕子さんが星めぐりの歌をうたっている。 心臓のど真ん中に、静かに、だけど確実に迫ってくる歌声で、訳もなく涙が出る。プラネタリウムを見ながらあの歌声が聞きたい。プラネタリウム関係者のみなさん作ってくださいお願いします 。

あ、簡単に七夕の願い事を言ってしまった。

願い事はそのくらい軽いカンジの方がいいのかもしれない。


縁結び

最近の自分がいちばん気になっていること。


ほんとうのご縁を結ぶには、ほんとうの自分に還っていることが大事になる。 多くの人が、自分探しの旅に出ても自分など見つからないことがわかりだした近年だと思うが、ずっと探している自分はどこにいるのだろう?

いまわたしは、自分はどこにでもいると考えている。 目の前の人のなかに自分をみつける。 道端の花のなかに自分を見る。 美味しいごはんのなかにも自分はいる。そこかしこに存在している。 そして欠けたところが目に付いたとして、それが自分だ。 欠けているからこそ、他者を必要とする。 自分を知るために 。

わたしという人間は、いま言ったことを頭で全然理解していない。していないくせに言う。 ならばなぜ言うのか?

それは、ハートが知っているからだと思う。 根拠もなければ理屈とも違う。 当たり前な感覚。 説明できない。でも言いたい。誰かと分かち合えるのではないか、と心のどこかで願っている。 


縁結びの実績をつみたい。


ちょいちょい種を撒いて歩いているので、芽が出たという報告を待っている。


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晴れてたら三日月が見える🌙