朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

忍者

昔から忍者が好きだという話は既にしたが、(8/11鎌倉参照)

なんと、友人を通じて、本物の忍者の末裔の方と知り合うという奇跡が起きた。この方は友人の武術の師匠で、以前話に聞いた時からいつかお会いしてみたいと、密かに願っていた。

忍術(野伏)や行者(山伏)の英才教育を幼少時から学び、数々の名だたる山で、正に、生か、死か、の修行を重ね体得してきた、現代日本において数少ない忍び界の国宝のような方だ。

まず、目が違う。その瞳の奥には、遥か昔から代々受け継がれてきたであろう、宿命という名の光と闇を讃えている。この方の瞳を見つめながらパッと頭に浮かんだのが、タイガーアイという言葉だった。


武術太極拳日舞の動きには通ずるものがあるとのことで、友人からの勧めで、今回、先生のやってらっしゃる武術太極拳の教室の体験をさせていただいた。わたしは何も知識がないので下手なことは言えないが、体験させていただいた感想として、武術は、力に力でぶつかるのではなく、身体の軸を素にした自然な動きの内に、自身の気を宿らせることにより、有り得ないほどのパワーを生み出すもののようだ。日舞の動きも、身体の軸を素にしているため、基礎の動作が共通している。

先生はこれまでに踊りも学ばれてきたようで、ちょっとやって見せてくれた動きが、美しくて見惚れてしまった。男性性、女性性というが、性の表現者(例えるなら、武術は男性性、踊りは女性性)としても一流だということが一目でわかる。ああ、なんて格好良いのだろう。正直な話、先生はかなりの美男子でもある(年齢は46才、、もっと若く見える)


先生は20代前半にして、長年続けてきたあまりに過酷な修行等に嫌気が差し(日本の密教における諸々)あろうことか、キリスト教の洗礼を受けたことがあるという。方向転換の角度がエグい。

元々の潜在能力と、積み重ねた確かな実力から、キリスト教でもあっという間に頭角を現し、未来の担い手として将来を渇望されたが、神父の器の小ささに腹が立ち、本来の自分の道へと戻ったという経緯が面白い。ほかにも、幼少期からの菜食に飽き飽きし、厳しかった祖母が亡くなってからは、堰を切ったように肉を食べ始め、それまでの体重から30キロ近く太ったとのこと。いちいちやることのスケールもデカい。結局それもある時やり切り、今では肉は一切食べないと言う。完全なる体験形だ。

当時から、忍びの仕事は決して公にしてはならない、言わば、影の仕事であったため、その掟は祖母からきっちり教え込まれてきたようだが、ここ4~5年の内に、国際忍者学会なるものが立ち上がり、正式に忍者を後世に伝えるための活動が始まったようだ。腰を据えて調べ始めたら、多分相当な時間がかかりそう。来年は日本でオリンピックがあるし、外国人に人気の忍者道は盛り上がること間違いないだろう。


わたしが忍者と縁が深いとしたら、どんな繋がりなのだろう?そんな想像に胸躍らせる。

忍者と言えば、〇〇の里などという。わたしには、勝手に自分で考えた素敵名前エピソードというものがあるのだが、秋生まれということで、朱い里(紅葉した里)をイメージして付けてもらったみたいなの。というのを、いつの日か、誰かに名前の由来を聞かれた際に言いたいと常々思っている。(…が、なかなか機会に恵まれない。)

それプラス、忍者との深い縁から、朱里の里は、里にしたんだって!というのも今日から付け加えたい。


これから自身の魂の記憶を辿り、里での思い出を見つけ出してみたいと思う。



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武家屋敷