朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

イルミネーション

昨日から丸ノ内のクリスマスイルミネーションが始まった。電飾をぐるぐる巻きにされた木にしたらたまったもんじゃない!などのご意見もあるかと思うが、わたし個人的には、イルミネーションは綺麗だから好きだ。だから木に〝ぐるぐる巻きを無言で受け入れ、わたしたち人間を楽しませてくれてありがとうございます。〟と、礼を言うようにしている。いや、言うようにしているは嘘だ。今日から言うことにする。


数年前にめちゃくちゃ流行った、プロジェクションマッピングも、''踊らされてんなぁ~…''とか思いながらも、全然嫌いじゃない。ディズニーランドのエレクトリカルパレードも好き。(パレードが始まるまでの1~2時間場所取りするのだけは拷問だと思うが)やはり、電飾系イベントは、寒い冬でなくちゃ気分がでない。冷たい夜空の元、肩を寄せ合いながら光を見上げ歩く街並みは、何も無くともただ二人が並んで同じ景色を見ていることに意味が生まれる。手を繋いで歩く影なんか、完全に神様からの贈り物だ。


ロマンティックなことを言うのも、やはり季節は冬が良い気がする。なぜだろう。ロマンティックのもつ甘さと冬の気候は、甘辛コーデならぬ、甘辛ベストマッチングだからだろうか。


昨日、おとといと、久しぶりの娑婆の世界にどっと疲れてしまい、ブログが更新できなかった。日記なのだから、その日の出来事と思ったことをそのまま書くだけで成立するのにやらなかったのは、どこかで、意味のあることを書かないと、とか、誰かの心に触れるような、とか、そういうことをなんとなく思ってる自分がいることを知る。本当にただの日記なら、家でノートに書いていればいいのだ。人様の目に晒すということは、自己満を超えた何かが込められている必要があると、今は思うようになっている。


やはり、疲れていて気分も良くない時にその気持ちのまま文章を書いても、そこには誰かを元気にしたり、楽しい気持ちにしたり、ほっとさせてあげれるような陽気なエネルギーを込められない。正確には、どんなに疲れた時でも、脳を騙すべく、『あー、しあわせ。』『わたしは今とっても楽しい!』『ツイてる!ツイてる!ツイてる!』『今日も最高の一日でした。ありがとうございます!』などのハッピーな言葉を連発して唱えていれば、言霊パワーによって、脳はバグり、『あれ?疲れたのは勘違いだったのかしら?』などということに力技でもっていけなくもない。このようなテクを覚えはしたが、昨日はやらず。いつだって真理より気分てものが勝る時があるのだ。


今日は自愛の日にすると決めた。


わたし自身、自分に優しくすることに徐々に慣れてきたこの頃であるが、これを読んでくださってる方の中には、まだ、自分に優しくし慣れていない人もいると思う。わたしが自愛に慣れてきたきっかけは、やはり、自分の正直な気持ち(心の声)を、何はさておき、いちばんに感じ、行動したことにある。何はさておき、これが大事だ。何もさておけないと、結局自分のことは後回しになってしまう。後回しを続けると自分は満たされない。結果、自分自身から大事にされないことで、満たされない心の隙間を埋めるため、他者からの愛を求め彷徨うことになってしまう。わたしの場合、娘があまりにも自己主張がはっきりしているタイプのため、気を抜くとすぐに自分のことが後回しになってしまう。すると、ショートケーキのいちごは盗まれ続けることになる。(過去記事参照)


このことを具体的に例えると、よく恋愛において女が男に尽くしすぎて関係がダメになるケースがあるが、あれは、深層心理的には、他者へ尽くすことで、相手に愛を与えて欲しいとする行為だと思う。相手を思っているようで、実は、頑張ってる自分を褒めてもらいたい、認めてもらいたい、という欲求の元に、自分のために相手を愛しているふりをして頑張っているのだ。自分が自分を愛せないから、相手にそれをしてもらおうという。。その裏の思いが相手に伝わり、相手は逃げ出すという構図。

ただ、尽くすことが全てこのパターンにハマるとは限らない。本当に愛情深い人が、あり余る愛を相手に注ぎ、その愛をただありがとうと受け取れない相手が、苦しくて逃げ出すという場合もある。この場合、愛を受け取れない側が、自愛ができていないことが多い。

自分を愛せない自分を好きだと言われる苦しみから逃げ出すということ。


前者と後者では明らかに違う。前者は自分が未熟、後者は相手が未熟、ということになる。


話が逸れている。


お得意のざっくりまとめで言うと、自愛できていないと、結局は自愛しないとうまくいかない現実が目の前に現れ続ける。なので、自分に優しく、甘く、可愛がることに慣れれば、不安や心配や焦りなどは自然と霧消してゆくはず。


自愛はセカイ平和の鍵だ。自分のセカイが平和であれば、与えることも受け取ることも自然体でできる。柔らかくリラックスしてそこにいる。わたしはそのように生きていたい。


金曜日の18:35…新宿のスターバックスにいる。みんな笑顔だ。あらためて、接客っていいなと思う。笑いながら働けるってしあわせだ。自分に向いてると思う。何者かになることは完全に手放した。


これから先のことは神様のみ知っている。



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