朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

ラブコール

夏至が近づいている。

もうすぐこのブログをはじめてから一年が経つ。

5年ほど前までわたしは死んだように生きていた。あの頃の一年は、三年前も、五年前も、ほぼ周りの景色は変わらず、繰り返される情報操作の波のなか、感情に乏しく、ただただ、それが過ぎ去るのを眺めて見送るような味気ない日々だった。

対してこの一年を振り返ると、今までの十年分くらいをギュッと濃縮したような、真剣に生きている実感を伴う生き方ができていたように思う。大きな違いは、自分の頭で考え、心で感じることが当たり前になったことにある。何が起きてもいい。誰が何を言ってもいい。それを自分がどう捉えるか。どう自分自身に活かすか。四六時中そんなことばかり考えている。疲れそうなものだけど飽きない。魂や精神世界に興味があるから、ひとつ新しい気づきがあるたびに、いちいち感動する。

不思議なシンクロやテレパシー的な事象が起きると、目に見えるものが全てではないことがわかりやすく理解できる。人との出会いも最近では必然としか思えなくなってきた。人生のこの場面で再会を約束してたであろう前世繋がりの人や、未来のひとつのパラレルのなかで関わりをもった人との出会いも経験した。前世の人たちとの関係性はうっすら思い出せることがあるのだが、なぜか、未来の人たちとの関係性はまったく思い出せない。けれど、確かに知っているという感覚。魂はどれだけの時間、旅をし続けてきたのだろう。


この6月から、予てから通っていた、横浜のRest in Peaceなる家に、週の半分暮らすことになった。共同生活は初めての体験になる。

これまであの家にはあそびに通いつづけてきたが、血縁上の家族以外の人たちと生活を共にするということが果たして自分にできるのか、正直未知のことだし、不安が無いわけではなかったのだが、不安より、やってみたいという思いが勝った。わたしは住人のひとりになるが、気持ち的にはみんなのお母さん的存在でありたい、という思いがある。目指すは、ムーミンママやバカボンのママだ。あのレベルに到達するにはまだまだ役不足感は否めないが、大きな目標があることは向上心を保ち続けるために大切だと考えている。

食事などは、普通の家のお母さんが毎食(じゃないにしても)ごはんを作るのと同じ感じで、作ってみんなと食べたいし、共に暮らす人や、あそびに来た人といろんな話をしてみたいし、あの家でできることをみんなで模索していきたいと考えている。

先日、早速作った料理が好評でやる気も出る。仕事に出かける住人Kくんが、おかずをお弁当に持って行ってくれたことが嬉しく、お弁当に合う濃いめの味つけのおかずを夜大量に作っておけば、次の日、朝ごはんやお弁当にできていいな、、などと、ウキウキしながらイメージしていた。わたしは料理が好きなのだと思う。

もしも、このブログをずっと見続けてきてくれた人がいるのなら(最近でも一回でも)わたしに会いに来て欲しい。あなたと話がしてみたい。こんな世界(コロナ以降の)になった今だからこそ、直接会うということで生まれる何かに期待したい。面白いことが起きるのは、いつだって人と人とが出会った時だ。わたしはそう思っている。



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LOVE&PEACE🌈