朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

続続幼少期

前回、キリスト教の話の方へと流れていってしまったので、今回はエピソードを。

 

保育園のとき、ミツノ先生という女の先生がいた。

ミツノ先生は、年長時に担任のような役割をしていた先生で、ショートカットで痩せていて眼鏡をかけていた。

 

ミツノ先生はあまり笑わなかった。

 

あるとき、クリスマス会の思い出を画用紙に折り紙を使った切り紙で表すという、高度なお題を出されたことがあった。

 

わたしはクリスマス会の思い出について、なんにも、本当になんにも浮かばず、出鱈目に切った折り紙を真っ白の画用紙に、ただ貼り付けた。

クリスマス会も、今やらされていることにもまったく興味がなく、そもそも、話をちゃんと聞いていなかったのかもしれない。

それでも、自分がしていることが、まちがっているだろうことは、うっすらと理解していた。

 

わたしの作品(とは言えないか)を見たミツノ先生が、ものすごく怒った。

『あなたは何をやっているの?』と。

 

わたしは子ども心にものすごくそれが怖くて、閉口するしかなかった。

自分のしたことを説明するなんてできなかったし、何も浮かびませんでした!とも、いつも笑わないミツノ先生を前に、言うことなどできなかった。

 

この出来事を思い出したことで、私はやっと気づいたことがある。

わからない時に素直にわからないと言えなくなったのは、この時からだったのか、と。

『わからないときは素直に聞いたらいいんだよ。』

と、もしもこの時、優しい先生が教えてくれていたら、もうすこし生きていくことが楽だったんじゃないかな?

 

それからたぶんわたしは、先生に怒られない友だちの絵や工作やなんやかやを真似していれば大丈夫、という生きていく術を身に付けてしまったんだとも思う。

好きな色も、みんなの好きな、ピンクと水色ときいろって言ってればいいんだと本気で信じ込んでしまった。

 

…だけど、

一度だけ、目の前のお花を模写しましょう!の回のとき、わたしの絵はミツノ先生に褒められた。

 

そのお花は、小さな花びらが寄あつまってひとつのお花のカタチを形成している花だった。

わたしはそのときは描く対象が既にあったことで、見ながら描けばよいから安心していたのだろう。

みんなが花の全体のカタチを簡単に描いたのに対して、わたしは、ひとつひとつの花びらを細かく描写したので、ミツノ先生はそれを評価したのだと思う。

 

いま思えば、結局それも先生のエゴだとはわかるが、それでも、褒められたことは、怒られたことと同じか、それ以上に強く心に刻まれている。

 

わたしは以来、ヒヤシンスという花に特別な感情を寄せている。

 

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2019.6  紫陽花の花(ヒヤシンスの代わりに)