朱里日記

❁小さな自叙伝からはじまる魂の冒険記❁

3年半前の秋 、76歳で父は他界した。


保険の代理店をやっていた父は、営業の外回りの人のような仕事の仕方で、いつも外に出て回っており、休みの日も、家でゴロゴロというよりかは、外に出かけている方が多かった。


わたしは最初に言ってしまうと、父のことを好きではなかった。

心の通い合う温かいコミュニケーションがとれる人ではなかったため、親子の親しみを感じられる距離感にいられなかったのだ。


正確には、思春期から父が亡くなる3年半ほど前までのあいだ、ずっとそう思い込んでいた。


でも、いまはちょっと違う。


死んでしまってからは父のことがすこしずつわかるようになってきて、もしかしたら、愛されていないと感じてきたことは勘違いだったのではないか、そう思うようになった。


そう思うようになった理由はいくつかある。


生前はきちんと目を合わせて会話することもなく、お互いに何を考えているかも分からない関係だったが、遺影写真の父には、真正面からじっと真っ直ぐ目を合わせて語りかけてみようと思った。

今ならできる、と。

そして、写真の父の目を見つめつづけたとき、ふと、''わたしは愛されていたのかもしれない''、そんな思いが湧き上がってきたのだ。

理屈ではない、''ありがとう''という気持ちが溢れてきたのだ。 


コミュニケーションを拒否したのは自分だったのではないだろうか?

親しみを感じる距離に近づこうとしなかったのは自分の方だったのではないだろうか?

それから、父のことを考える度、長い間につくられた関係性の真実が見えてきた。


不思議なことに、わたしが死んだ父に歩み寄って心の中で対話をし始めてから、父は何度も夢に出てきた。

ものすごく悲しくなる出来事が訪れる前に夢の中で、どうしたの?大丈夫?と声をかけられたことがある。


わたしはずっと父は自分のことにしか興味のない冷たい人間だと思い込んできたけれど、そう思うことで、素直になれない自分を守ってきたわたしの方がずっと冷たい人間だったのかもしれない。


わたしは傷つくことが怖くて、自分から愛することから逃げていただけなのだ。


それに気づいてから思い出したことがある。


父はいつも背中が荒れていて、幼いわたしに背中を掻くしごとを頼んだ。

もう少しひだり!とか、

もう少し上!などと指示をしながら、、

そして最後にかならず

『あぁ~気持ち良かった!ありがとう。』と

言っていたのだ。


なぜこんなに優しい記憶をわたしは封印し続けてきたのだろう。

愛されていないと決めつけて、長い時間を無駄にしてしまったのだろう。

本当は、父が生きているあいだに、もっと優しくしたかった。

温かい気持ちを共有したかった。

笑い合って、ありがとうと素直に言いたかったんだ。


語彙力や、表現力や、考察力や、洞察力や、あらゆる力不足の自分で、父とのことから得た大事な大事な何かを語ることは、まだ早いのかも知れないし、その一部をかすった程度に留まることがとても悔しくもあるが、いまのわたしが得た真理を伝えたい。



わたしは愛するために生まれてきた

わたしはずっと愛されていた



次回は父との思い出を。





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